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東京地方裁判所 昭和50年(特わ)311号 判決

本籍

東京都保谷市中町六丁目一八九四番地

住居

宮城県桃生郡矢本町大曲字堺堀一二五の一

会社役員

貫井一雄

大正一五年三月一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は検察官樋渡利秋出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

一  被告人を判示第一及び第二の罪につき懲役一年六月及び罰金七〇〇〇万円に、判示第三の罪につき懲役一〇月及び罰金二〇〇〇万円に処する。

二  右各罰金を完納することができないときは、いずれも金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

三  訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、東京都保谷市中町六丁目五番一三号において貸金業を営むとともに、肩書住居において旅館「ニューモーターリストホテル石巻」を経営していたものであるが、自己の所得税を免れようと企て、貸付金利息及び右旅館売上の一部を除外し、仮名預金を設定するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

第一  昭和四六年分の実際総所得金額が二億五六五八万八七四三円(別表(一)修正損益計算書参照)あったにもかかわらず、昭和四七年三月一三日、東京都武蔵野市吉祥寺本町三丁目二七番一号所在の所轄武蔵野税務署において、同税務署長に対し、総所得金額が一〇六八万九〇〇〇円であり、これに対する所得税額が九九万八〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(昭和五一年押第一〇五一号の2)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額一億七三五五万三八〇〇円と右申告税額との差額一億七二五六万三〇〇〇円(別表(四)税額計算書参照)を免れ、

第二  昭和四七年分の実際総所得金額が一億三三三六万六四六五円(別表(二)修正損益計算書参照)あったにもかかわらず、昭和四八年三月一五日、前記武蔵野税務署において、同税務署長に対し、総所得金額が一八二万八一七五円であり、これに対する所得税額が一一万五三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(同押号の3)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額八七一一万八〇〇〇円と右申告税額との差額八七〇〇万二七〇〇円(別表(四)税額計算書参照)を免れ、

第三  昭和四八年分の実際総所得金額が一億九四二万一一〇二円(別表(三)修正損益計算書参照)あったにもかかわらず、昭和四九年三月一五日、東京都東村山市本町一丁目二〇番二二号所在の所轄東村山税務署において、同税務署長に対し、欠損金が二一五万四〇五〇円であり納付すべき所得税額はない旨の虚偽の所得税確定申告書(同押号の24)を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額六九一七万八〇〇〇円(別表(四)税額計算書参照)を免れ

たものである。

(証拠の標目)

以下の各証拠の表示のうち、「甲一」及び「乙」は検察官の請求証拠目録甲一及び乙の番号、「符」は昭和五一年押第一〇五一号の符番号、「回」は公判回数、「弁」は弁護人の請求証拠番号をそれぞれ示す。

判示事実全般につき

一  被告人の当公判廷における供述

一  被告人の公判調書中の各供述部分(第一一、三二、三三、三八回)

一  被告人の検察官に対する供述調書二三通(乙1ないし19、22ないし25)

一  収税官吏の佐藤好宏に対する質問てん末書(甲一3)

一  東京都経済局金融部金融課長作成の「貸金業の届出有無について(回答)」と題する書面(甲一1)

一  佐藤好宏作成の「(株)貫井商事の法人税申告について」と題する書面(甲一2)

判示各事実ことに過少申告の事実及び別表(一)ないし(三)の修正損益計算書の各勘定科目中の公表金額につき

一  検察官松尾久作成の昭和五〇年五月八日付捜査報告書(甲一4)

一  押収してある所得税確定申告書三通(符2、3、24)

判示各事実ことに別表(一)ないし(三)の修正損益計算書の次の各勘定科目中の当期増減金額につき

貸金利息等(別表(一)ないし(三)の修正損益計算書の勘定科目中の各〈1〉、以下「(一)ないし(三)の各〈1〉」というように表示する。)、和解承諾料((一)の〈2〉)、和解債務延滞金((二)の〈2〉)、債権譲渡益((二)の〈3〉)、返還利息((二)の〈26〉)、貸倒損失((二)の〈27〉、(三)の〈3〉)

一  被告人作成の証明書(甲一127)

一  証人櫻井治兵衛(第四九回、五二回、五七回)、同山口泰治(第五〇回)、同井口和雄(第五二回)、同川和正夫(第五三回)の当公判廷における各供述

一  証人横田忠次(第六ないし八回、一〇回、一二ないし一四回)、同下川好孝(第一五回)、同清水春雄(第二一回、二三ないし二六回、三五ないし三七回)、同渡辺重明(第二八回、三一回、三四回)、同樋笠岩雄(第二九回、三〇回)、同小川公吉(第三九ないし四一回)、同新井正夫(第四三回)、同櫻井治兵衛(第四四回、四五回、四七回、四八回)の公判調書中の各供述部分

一  当裁判所の証人山本安彦、同門間賢司(二通)、同斉藤忠亮、同目黒忠に対する各尋問調書

一  並木万次郎(甲一29)、松田登四男(同113)、山本安彦(二通、同32、33)、問間賢司(四通、同49ないし51、196)、山口泰治(同197)、川和正夫(同200)、秦孝司(同201)、小川公吉(同207)、横田忠次(二通、同208、209)の検察官に対する各供述書

一  収税官吏の内田源造(甲一6)、小川継之(二通、同7、112)、島野光子(同9)、滝田昇(同12)、横山実(同14)、生井実(同15)、上林吉春(同16)、野島喜一(同22)に対する各質問てん末書

一  青梅信用金庫東久留米支店長(三通、甲一77ないし79)、株式会社埼玉銀行ひばりヶ丘支店長(七通、同80ないし86)、長万部信用金庫理事長(二通、同90、91)北洋相互銀行長万部支店支店長(同92)、株式会社三井銀行上野支店次長(二通、同130、131)、株式会社三菱銀行上野支店支店長(四通、同132ないし135)、株式会社太陽神戸銀行上野支店支店長外一名(同136)、平和相互銀行上野支店次長(同137)、株式会社埼玉銀行田無支店支店長外一名(同138)、東邦信用金庫田無支店支店長外一名(同139)、東京厚生信用組合小平支店支店長(同142)、小川公吉(同146)、東邦信用金庫田無支店支店長(同147)、株式会社七十七銀行矢本支店支店長(同162)、石巻信用金庫矢本支店支店長(同211)作成の各証明書

一  淡島一之(甲一10)、東邦信用金庫阿佐ヶ谷支店調査課井口和雄(同87)、東邦信用金庫総務部庶務課長川和正夫(同88)、同総務部研修課長秦孝司(同89)、検察事務官(抄本、同141)、櫻井治兵衛(同198)、東邦信用金庫阿佐ヶ谷支店調査役井口和雄(同199)、樋笠岩雄(同210)作成の各上申書

一  石巻市農業協同組合理事長作成の借入金残高証明書(甲一163)

一  検察官作成の捜査関係事項照会書写(甲一118)、同回答書(同119)

一  株式会社東京都民銀行代田支店支店長(二通、甲一128、129)、青梅信用金庫東村山支店(同143)、八千代信用金庫久米川支店支店長(同144)、東京信用金庫田無支店支店長(同145)、株式会社太陽神戸銀行東松山支店支店長(同159)作成の各捜査関係事項照会回答書

一  有限会社有明工務店猪瓜隆知作成の借入金明細の照会に対する回答書(甲一5)

一  検察事務官丸浦岩夫作成の捜査報告書三通(甲一8、13、17)

一  登記官作成の登記簿謄本三二通(甲一11、93ないし103、148ないし153、156ないし158、160、161、弁5の1ないし4、6の1ないし5)

一  通知書写(弁1)

一  農地法第七三条の規定違反に伴う所有権の抹消登記に対する勧告書写(弁2)

一  通知書(弁3)

一  新座市土地開発公社理事長作成のご依頼の件について(回答)と題する書面(弁5の2)

一  押収してある横田忠次関係書類一綴(符4)、済小切手六枚(同5)、済小切手等一袋(同6)、貫井一雄借入メモノート一冊(同7)、抵当権設定契約書一綴(同8)、領収証一枚(同9)、土地売買契約書一通(同10)、公正証書写一通(同11)、土地売買契約書写二通(同12、13)、領収書二枚(同14、15)、詫状二通(同16、17)、裁判関係一綴(同18)、清水春雄関係書類三綴(同19)、済約束手形二通(同20、21)、金圓借用抵当権設定契約書二袋(同22、23)、公正証書一袋(同25)、金銭借用証書等一綴(同26)、借入金メモ一袋(同27)、貫井氏関係振出手形一覧コピー一袋(同28)、銀行勘定帳五冊(同29、30、104、106、107)、金銭出納帳一冊(同105)、約束手形帳控二綴(同31、36)、約束手形等二綴(同32、33)、約束手形二綴(同34、35)、小切手一一通(同37、38、79ないし87)、「抵当権設定」と題する書類一綴(同39)、櫻井治兵衛と題する綴一綴(同40)、メモ五枚(同41)、小切手(メモ付のもの)一綴(同42)、約束手形35通(同43ないし59、61ないし78)、金圓借用証書一通(同60)、約束手形写四枚(同88、89)、小切手写二枚(同90)、青森土地関係一綴(同91)、貸金関係メモ一綴(同92)、貸金関係メモ六枚(同93ないし98)、巻紙(借入系統図)一枚(同99)、借入金支払利息明細表(系統図)四枚(同100)、借入台帳七枚(同101)、預金出入帳一袋(同102)

モーテル収入((二)の〈4〉、(三)の〈1〉)、訴訟費用((一)の〈3〉、(二)の〈5〉、(三)の〈22〉)、登記費用((一)の〈4〉、(二)の〈6〉、(三)の〈23〉)、交際費(((一)の〈5〉、(二)の〈7〉、(三)の〈8〉)、調査費((一)の〈6〉、(二)の〈8〉、(三)の〈24〉)、車両費((一)の〈7〉、(二)の〈9〉、(三)の〈25〉)、事務費((一)の〈8〉、(二)の〈10〉、(三)の〈18〉)、組合費((一)の〈9〉、(二)の〈11〉、(三)の〈20〉)、保険料((1)の〈10〉、(二)の〈12〉、(三)の〈26〉)、雑費((一)の〈11〉、(二)の〈13〉、(三)の〈7〉)、給料((一)の〈12〉、(二)の〈14〉、(三)の〈12〉)、交通費((一)の〈13〉、(二)、(三)の各〈15〉)、消耗品費((一)の〈14〉、(二)の〈16〉、(三)の〈10〉)、燃料費((一)の〈15〉、(二)の〈17〉、(三)の〈6〉)、通信費((一)の〈16〉、(二)の〈18〉、(三)の〈13〉)、修繕費((一)の〈17〉、(二)の〈19〉、(三)の〈5〉)、租税公課((一)の〈18〉、(二)の〈20〉、(三)の〈14〉)、水道光熱費((二)の〈21〉、(三)の〈9〉)、洗濯費((二)の〈22〉、(三)の〈19〉)、地代((二)の〈23〉、(三)の〈17〉)、減価償却費((一)の〈25〉、(二)の〈23〉、〈34〉、(三)の〈21〉)、その他経費((二)の〈25〉)、仕入((三)の〈4〉)、福利厚生費((三)の〈11〉)、広告宣伝費((三)の〈16〉)、計算誤びゅう((一)の〈26〉)

一  国保真理の検察官に対する昭和五二年二月一四日付供述調書(甲一106)

一  収税官吏の国保真理(甲一107、108)、亀山隆(同109)、今藤周子(同110)に対する各質問てん末書

一  収税官吏作成の貸金必要経費調査書(甲一121)、モーテル必要経費調査書(同122)固定資産および減価償却費調査書(同123)

一  収税官吏作成の経費明細表(甲一63)、固定資産明細表(同634)

一  佐藤好宏作成の「昭和四七年度モーテル石巻の収支明細表について」と題する書面二通(甲一61、62)

一  石巻信用金庫矢本支店支店長作成の証明書(甲一211)

一  押収してある昭和四八年分料理飲食等消費税納入申告書一袋(符103)

判示第一、第二の各事実につき

一  奥川美奈子(甲一66)、国保真理(同67、68、69)の検察官に対する各供述調書

判示第三の事実につき

一  佐藤好宏の検察官に対する供述書(甲一124)

(確定裁判)

被告人は、昭和四八年一二月一日東京地方裁判所において、所得税法違反の罪により懲役四月及び罰金二五〇万円(懲役刑については二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同月一六日確定したものであって、この事実は検察事務官作成の前科調書及び判決書謄本によって認められる。

(争点に対する判断)

弁護人は、貸付金の利息収入(遅延損害金等を含む。)、債権譲渡益、貸倒損等に関し種々争うので、以下主な争点について検討を加えることとする。

第一横田忠次関係

一  利息収入について

(一) 弁護人は、検察官は被告人の横田忠次からの昭和四五年一二月末日現在における貸付元本残高に対するその後の利息収入を、主に同人作成にかかる借入メモノート(符7、以下「横田ノート」という。)の記載を根拠に主張するが、右横田ノートの記載自体不正確であるばかりでなく、同ノートに記載された利息は支払予定利息であって支払済の利息ではないから、横田ノートに利息金額の記載があるからといって、被告人に同金額の利息収入があったと認めるのは誤りであると主張する。

そこで先ず、右横田ノートの信用性について検討すると、関係証拠ことに証人横田忠次の公判調書中の各供述部分(以下たんに供述と略称することもある。他の証人についても同様の表示をすることがある。)、同人の検察官に対する供述調書二通(甲一208、209)等によれば、横田ノートは、横田忠次が被告人からの借入及び返済状況を把握しておくため、被告人から借入をし、あるいは被告人に対し元利金の支払をした際、そのつど、借入日、借入金額、支払日、元利の支払金額、差引残高等をこれに記載していたものであり(証人横田忠次は、当公判廷において、大体借入及び支払等の行われたその日に記入したが、二、三日後に記入したこともあると述べている。)、記載内容も横田忠次が借入の際に被告人に差入れた小切手及び約束手形の番号や、金利、元本残の計算の経過等に至るまで詳細かつ具体的に記載されているうえ、元本と利息の別や支払済か未払かについても明確に表示してあり、しかも以上の記載内容は本件において証拠として提出された小切手及び約束手形等残存する関係証拠とも符合しているものであり、これらの点を併せ考えると、横田ノートは被告人との取引内容を概ね正確に記載したものとしてその記載内容は信用することができる。もっとも横田ノートの記載の一部に、単純な計算ミスや記載方法に統一を欠く部分等が認められるが、関係証拠と併せて検討してみると、その内容は明らかであって、横田ノート全体の信用性を左右するほどのものではない。また横田ノートには弁護人が指摘するように、横田忠次の被告人に対する利息の支払について、若干の記入もれがあるかのようであるが、横田ノートに記入された事項に関する限り、概ね正確に記載されていることは前記のとおりであって、所論の点は同ノートの信用性を左右するほどのものではない。

ところで、弁護人は、横田忠次の被告人に対する利息等の支払について個別的に争うので、順次検討を加えることとする。

〈1〉 昭和四六年一月分

弁護人は、検察官は横田忠次が利息として同年一月一八日五五〇万円、同月二〇日一〇〇万円、四月三一日五五〇万円をそれぞれ支払い、同月二〇日には右利息を支払うために被告人から一〇〇〇万円を借入れたと主張するが、昭和四五年一二月末日現在の貸付元本残高五五〇〇万円に対する同四六年一月分の利息として、右一月一八日に五五〇万円を支払ったうえ、さらに一月二〇日一〇〇万円、四月三一日五五〇万円を支払うことは考えられず、従って一月二〇日右利息を支払うために一〇〇〇万円を借入れることもありえないと主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、右一月一八日の五五〇万円の支払は、元本残高五五〇〇万円(右金額は横田ノートに元本残高として記載されたものであって、同金額はそれ以前における利息の支払を元本の返済として処理して算出したため必ずしも実際の元本残高ではないが、以下元本額の表示は特にことわらない限り、横田ノートに表示されたものを指す。)に対する一割の利息であり、横田忠次振出の小切手(同番号HB067026、以下記号及び番号のみで表示する。)に記載された被告人のメモによりその支払があったことは明らかである。また一月二〇日の利息一〇〇万円は、横田忠次が被告人に対する利息を支払うために同日一〇〇〇万円の借入をおこし、これに対する月一割の利息として天引されたものと認められる(なお、横田忠次が右一〇〇〇万円の借入を起こしたことは、横田ノートの昭和四六年二月以降の元本残高が五五〇〇万円から六五〇〇万円となり、一〇〇〇万円増加していることから明らかである。)。さらに一月三一日の五五〇万円については、横田忠次が捜査及び公判において、被告人に元本残額五五〇〇万円の小切手をいきなり取立にまわされたことから、不渡処分を免れるため、被告人の要求に応じて、右借入金一〇〇〇万円のうち二〇〇万円と、他から工面した三五〇万円を合わせて合計五五〇万円を支払ったと供述しており、横田ノートに支払済の記載があることから、その支払があったことは明らかである。

〈2〉 同二月分

弁護人は、検察官は横田忠次が利息として、二月一八日六五五万円、二月二六日五〇〇万円をそれぞれ支払ったと主張するが、元本残高五五〇〇万円に対する二月分の利息として、二月一八日六五五万円を支払ったうえ、さらに二月二六日五〇〇万円を支払ったものとは考えられないし、右各支払に該当すると思われる金額が横田忠次の銀行の預金口座から支出されたような形跡もないと主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、右二月一八日の六五五万円は、昭和五五年一二月末日現在の元本残高五五〇〇万円に前記一月二〇日借入の一〇〇〇万円を加算した六五〇〇万円に対する一割の利息六五〇万円と、被告人から適宜上積みされた五万円の合計額であり、横田忠次振出の小切手(HA10655)に記載された被告人のメモ及び横田ノートの記載によってその支払がなされたことは明らかである。また二月二六日の五〇〇万円については、横田忠次は捜査段階において、前記元本六五〇〇万円の借入のために振出日を一ヵ月先とする小切手を差入れていたところ、突然被告人から右小切手を銀行を通して取立にまわした旨の連絡を受け、被告人に買戻してもらうために巳むを得ず同人の要求に応じて支払ったと明確に供述しており、横田ノートにも支払があったことの記載があるので、右五〇〇万円が支払われたことも明らかである。なお、弁護人が指摘するように、証人横田忠次は当公判廷において、二月一八日の六五五万円を支払っていないと供述している部分があるかのようであるが、同証人の公判供述を全体として検討してみると、必ずしもそのように供述しているとは認められない。所論は採用できない。

〈3〉 同三月分

弁護人は、検察官は横田忠次が利息として三月一八日六五五万円を支払ったと主張するが、右六五五万円は書替えられたものであって、被告人の収入とはならないと主張する。

しかしながら、関係証拠によれば、右六五五万円は、前記二月一八日の六五五万円の支払と同様、六五〇〇万円に対する三月分の利息相当分であり、横田忠次振出の小切手(HA10655)に記載された被告人のメモ及び横田ノートの記載によって、その支払がなされたことは明らかである。

〈4〉 同四月分

弁護人は、検察官は横田忠次が利息として四月一九日六五五万円、四月二六日七〇〇万円、元本に対する返済として四月二二日一〇〇〇万円をそれぞれ支払ったと主張するが、四月一九日の六五五万円は同日横田忠次の取引銀行から六六〇万円が出金されているけれども、これが右六五五万円の支払にあてられたことを認める証拠はないし、四月二二日の一〇〇〇万円及び四月二六日の七〇〇万円についても横田忠次には当時右のような大金を支払うだけの資金源はなかったものであると主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、右四月一九日の六五五万円は、前記二月一八日、三月一八日の各六五五万円と同様、元本残六五〇〇万円に対する利息相当分であり、横田振出の小切手(HA10655)に記載された被告人のメモ及び横田ノートの記載等により、支払がなされたことが明らかである。また四月二二日の元本に対する一〇〇〇万円の支払については、横田ノートの記載によれば、同日の差引残高が一〇〇〇万円減少しており、その後の利息が、右により減少した七〇〇〇万円の元本残を基にして算出されていることが認められ、元本に対する一〇〇〇万円の支払があったものと認められる。四月二六日の利息七〇〇万円については、証人横田忠次は、捜査段階及び公判において、当時の元本残高である七〇〇〇万円の小切手が銀行の取立にまわされたが、同人においてその支払ができなかったことから、不渡処分を免れるため被告人の要求に応じて右額面の一割に相当する七〇〇万円を支払ったと供述しているところ、横田ノートによれば当時の元本残高が七〇〇〇万円であって、右七〇〇万円について支払済の記載があり、右七〇〇万円の支払がなされたことを認めるに十分である。なお、弁護人は、証人横田忠次は、当公判廷において、右元金一〇〇〇万円及び利息七〇〇万円の支払は、新座市に土地を売却した代金で支払った旨供述するけれども、当時横田忠次が土地を売却したことはなく、新座市が同証人に土地代金の支払をしたこともないので、右証人横田忠次の公判供述は虚偽であると主張する。なるほど横田忠次が新座市から土地代金を取得したのが昭和四六年七月二〇日及び同年八月二〇日であり、右四月当時新座市から土地代金を受領していないことは所論のとおりであるが、証人横田忠次の公判供述を仔細に検討してみると、同証人は必ずしも右新座市に対する土地代金を右元利金の支払にあてたものと供述しているものではなく、支払金額が多額であったことから、資金源として土地代金があてられたように思う旨述べているにすぎず、前認定を左右するものとは認められない。所論は採用できない。

〈5〉 同五月分

弁護人は、検察官は横田忠次が利息として五月一八日六五五万円、元本の返済として五月六日一〇〇〇万円をそれぞれ支払ったと主張するが、同人が被告人に対し五月中にした支払は、五月二〇日青梅信用金庫久留米支店の預手による四六〇万円だけであって、右のような大金を支払ったことはないと主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、右五月一八日の六五五万円は、前認定の二月一八日、三月一八日、四月一八日の各六五五万円と同様、元本残六五〇〇万円に対する利息相当分であり、横田ノートの記載により支払がなされていることは明らかである。また五月六日の元本に対する一〇〇〇万円の返済については、横田忠次が捜査段階及び公判において一貫して返済した旨供述しているうえ、横田ノートに支払済の記載があることから、返済の事実を認めることができる。

ところで、弁護人は、右のように五月に六五五万円の利息の支払と元本に対する一〇〇〇万円の返済がなされたとすれば、五月末の元本残高が減少する筈であるが、横田ノートの記載によれば、四月末の元本残高七二〇〇万円に対し、五月末の元本残高が七五〇〇万円と増加していることが明らかであって、右の事実は検察官が主張する元利の支払がなかったことの証左であると主張する。

そこで検討すると、横田ノートには四月末の元本残高が七二〇〇万円、五月末の元本残高が七五〇〇万円とそれぞれ記載されていることは所論のとおりであるが、関係証拠ことに証人横田忠次の公判調書中の各供述部分、同人の検察官に対する昭和五〇年二月二六日付供述調書、横田ノート等によれば、四月末の元本残高は七〇〇〇万円であり、それまでの金利の支払不足分を元本に組み入れても七二〇〇万円であったが、被告人の要求で四月末日の元本残高を七五〇〇万円としたこと、五月中に前記のとおり利息分として六五五万円、元本分として一〇〇〇万円がそれぞれ支払われたが五月にその余の元本の支払がなかったため、右四月末の元本残高である七五〇〇万円で元本を書替えたことが明らかであり、所論指摘の元本残高の記載が前認定を左右するものでないことはいうまでもない。所論は採用できない。

〈6〉 同七月分

弁護人は、検察官は横田忠次が利息として七月一〇日八七〇万円、七月二一日二〇〇万円、七月二九日九〇〇万円をそれぞれ支払ったと主張し、右七月二九日の九〇〇万円の支払に相当すると思われる九〇〇万円が七月三一日に支払われているが、そのほかの支払はないと主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、七月一〇日の八七〇万円は当時の元本残高八七〇〇万円に対する一割の利息であり(六月一八日元本及び利息とも支払がなかったので、被告人は、元本残高を八七〇〇万円としたうえ、同元本額及び利息分八七〇万円を額面とする各小切手を振出すよう要求し、横田忠次がやむを得ずこれに応じたものである。)、その支払のために右のとおり同額面の小切手(HA10695)が振出されたが、交換にまわされ不渡となったことから、横田忠次が被告人のもとに現金八七〇万円を持参してこれを支払い、右小切手を回収したものであり、横田ノートにも支払済の記載がある。七月二一日の二〇〇万円の支払は、右のとおり六月一八日に支払うべき利息として、七月一〇日に八七〇万円を支払ったが、支払が遅滞したことを理由に被告人より、元本残高を三〇〇万円加算した九〇〇〇万円とされたうえ、罰金と称して二〇〇万円を徴収されたものであり、横田ノートにもその旨の記載がある。また七月二九日(横田ノートの記載は七月二七日)の九〇〇万円の支払は右元本残高九〇〇〇万円に対する一割の利息として支払われたものであり、同月三一日東邦信用金庫西荻窪支店の被告人の口座に入金されているが、小切手の交換決済のため、支払日につき所論のような差異が生じたものと認められる。なお、弁護人は、証人横田忠次は、当公判廷において、七月一〇日の八七〇万円と七月二一日の二〇〇万円の支払をしていないと供述していると主張するが、同証人の公判供述を全体として検討してみると弁護人の主張するように供述しているものとは認められないので、所論は採用できない。

〈7〉 同八月分

弁護人は、検察官は横田忠次が利息として八月一〇日八七〇万円、同月二一日一〇〇〇万円、元本に対する弁済として同日一〇〇〇万円をそれぞれ支払ったと主張するが、八月における支払は、元本に対する弁済として八月一二日支払った一〇四〇万円だけであって、そのほかの支払はなかった旨主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、八月一〇日の八七〇万円は、前記六月一八日現在の元本残高八七〇〇万円に対する一割の利息であり、七月一〇日に支払われた八七〇万円と同様、小切手(HA10699)に記載された被告人のメモと横田ノートの記載等によりその支払があったことは明らかである。弁護人は、証人横田忠次は、当公判廷において、右八七〇万円を支払っていないと述べていると主張するが、同証人は必ずしもそのように述べているものとは認められないから、所論は理由がない。

また八月二一日の二〇〇〇万円の支払のうち横田ノート金利欄記載の一〇〇〇万円は、六月一八日現在の元本残高八七〇〇万円の支払が二カ月遅れたことに対する罰金と称して徴収されたものであり、元本に対する支払一〇〇〇万円は八月二一日当時の元本残高九〇〇〇万円に対する返済であって、いずれも証人横田忠次の公判調書中の各供述部分、横田ノートの記載等により、その支払がなされたことは明らかである。なお、証人横田忠次は、当公判廷において、八月二一日の一〇〇〇万円二口の支払については、新座市より土地代として支払を受けた第一勧業銀行新座市支店振出の小切手で支払ったと思う旨供述している部分があり、右供述を裏付ける小切手が残存しないことは弁護人指摘のとおりであるが、右認定を左右するものではない。

〈8〉 同九月分及び一〇月分

弁護人は、検察官は横田忠次が利息として、九月一八日及び一〇月五日に各九〇〇万円を支払い、同日元本に対する返済として二〇〇万円を支払ったと主張するが、右各支払がなされたことはないと主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、九月一八日及び一〇月五日の各九〇〇万円は、いずれも右各当時の元本残八〇〇〇万円に対する一割の利息八〇〇万円に一〇〇万円の損害金が加算された九〇〇万円であり、横田ノートに支払済の記載があって、いずれも支払われたことは明らかである(なお、横田ノートの一〇月五日欄における「元本金二〇〇万円」支払の記載は、右各一〇〇万円の損害金相当分合計二〇〇万円を元本からも差し引いて記載したものであって、実際に支払われたものでないことは、証人横田忠次の公判調書中の各供述部分、同人の検察官に対する昭和五〇年一月三〇日付供述調書等によって明らかである。)。

〈9〉 昭和四七年一月分

弁護人は、横田忠次が昭和四七年一月二五日利息として一〇〇〇万円を支払った事実はないと主張するが、昭和四六年一二月末日現在の元本残高は、同年一一月及び一二月に元利の支払が全くなかったことから、被告人の要求で九六五〇万円と増額され、昭和四七年一月二五日右元本に対する利息として一〇〇〇万円が支払われたことは、証人横田忠次の公判調書中の各供述部分、横田ノートの記載等により明らかである。

(二) ところで弁護人は、被告人は横田忠次に対し昭和四六年に新規の貸付をしていないので、同年における横田忠次からの利息収入は、昭和四五年一二月末日現在の元本残高五五〇〇万円に対する利息ということになるが、検察官の主張によれば、昭和四六年の受取利息が、右元本残高五五〇〇万円の二倍近い一億六六〇万円ということになり、これは極めて不自然なことであって利息の過大計上を示すものであると主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、横田忠次は、前認定のとおり、昭和四六年一月二〇日利息の支払のために一〇〇〇万円の新たな借入れを起こしているうえ、元本の支払延期にあたり、被告人から損害金を要求され、その時の元本額の約一割に相当する金額を利息のほかに数回にわたって支払い(同年一月三一日五五〇万円、二月二六日五〇〇万円、四月二六日七〇〇万円、八月二一日一〇〇〇万円の支払等がこれにあたる。なお、七月二一日には、六月一八日に支払うべき利息の支払がなかったことを理由に、被告人から罰金と称して要求され、二〇〇万円を支払っている。)、さらには元本の一割にあたる損害金とこの損害金の一割相当の罰金と称する金員をそれぞれ元本に加算し、あるいは適当に元本を増額したうえ、右加算ないし増額した新たな元本の約一割がその後の利息として支払われていることが認められる。以上のほか、昭和四七年一一月二七日には後記のとおり、被告人と横田忠次との間で貸借につき和解が成立し、被告人から横田忠次に対し過払分として一一〇〇万円が返還されていること等の事情を併せ考えると、横田忠次が昭和四六年中に約一億六六〇万円もの利息を支払ったと認定することに何ら不自然なところはない。所論は採用できない。

(三) 弁護人は、横田忠次は昭和四七年一月二二日門間賢司から北海道山越郡長万部町字共立所在の原野約七〇町歩(以下、「本件共立土地」という。)を買受けた際、売買代金の支払資金として被告人から五四〇〇万円を月一割の利息で借受け、被告人に対し、額面五五〇万円(内利息分五〇万円)同二二〇〇万円(内利息分二〇〇万円)、同三四一〇万円(内利息分五一〇万円)の各小切手を振出したが、そのうち被告人が横田忠次より受領した利息は、右貸付金五〇〇万円に対する五〇万円と同二〇〇〇万円に対する二〇〇万円の利息のうち一〇〇万円のみであり、その余の利息は受領していないと主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、横田忠次は、共立土地の売買代金を支払うための資金として、被告人より一割の利息の約束で、三回にわたり合計五四〇〇万円を借り受け、その際被告人に対し一割の利息を上乗せした所論の各小切手を振出したこと、五五〇万円の小切手(HA09903)は、昭和四七年二月八日取立にまわされたが、横田忠次の取引銀行の預金口座に残高がなかったことから、同人が現金を持参して右小切手を買戻し決済したこと、二二〇〇万円の小切手は同月二九日右と同様横田忠次の預金口座に残高がなかったことから、同人は第一勧業銀行ひばりケ丘支店において額面二一〇〇万円の預手を組み、これと現金一〇〇万円を被告人の許に持参して支払ったこと、三四一〇万円の小切手は、後記のとおり、同年四月四日不渡となったが、和解契約により解決されたことがそれぞれ認められる。右によれば、被告人は、横田忠次から、共立土地の売買代金の貸付につき合計二五〇万円の利息を受領したものと認められる。

ところで被告人は、当公判廷において、右二二〇〇万円の小切手については、二一〇〇万円が決済されたのみであり、残金一〇〇万円は横田忠次に依頼されて返済を猶予し、その後支払を受けていない。二二〇〇万円の小切手が横田忠次へ返還されず被告人の手許に保管されていたことは何よりの証左である等供述するが、関係証拠によれば、被告人の貸付においては、被告人が元利金の支払を受けながら、貸付の際差し入れさせた約束手形、小切手、借用書等を借主に返還せず、これらが被告人の手許に残っているということがしばしば認められ、被告人の手許に右約束手形等が残っているからといって、必ずしも貸付金及び利息の支払がなされていないものとはいえないこと、前記二一〇〇万円の預手が組まれて支払われて以後、被告人から横田忠次に対し二〇〇〇万円の貸付に対する利息の請求がなされた形跡は全くないこと、三四一〇万円の小切手の支払については、後記のとおり和解契約により解決されているが、そのとき被告人が支払を猶予したという二〇〇〇万円の貸付に対する一〇〇万円の利息が残っていたとすれば、当然何らかの処理がなされて然るべきであるのにそのような形跡はないこと等の事実が認められるが、これらの事実を考えると、前記被告人の供述はとうてい措信できない。所論は採用できない。

(四) 弁護人は、横田忠次は昭和四六、七年当時不動産取引業のほか、モーテルを経営していたが、いずれもたいした利益はなく、被告人のほか金融機関等からも相当の借入があった程であるから、横田忠次が検察官が主張するような多額の利息を支払うことは不可能であったと主張する。

そこで検討すると、横田忠次が昭和四六、七年当時不動産取引業のほか、モーテルを経営していたこと、被告人のほか金融機関等からもかなりの額の借入があったことは所論のとおりである。しかしながら、関係証拠ことに証人横田忠次の公判調書中の各供述部分、同人(二通)、並木万次郎の検察官に対する各供述調書等によれば、横田忠次の借入金の大部分は、転売目的の不動産を取得するための資金として借入れたものであって、借入のつど借入金額に相当する不動産を取得していたものであり、横田忠次は、昭和四四年一〇月ころから同四七年四月ころまでの間、七回にわたり、並木万次郎に対し、右取得にかかる不動産等を売却し、合計約一億六〇〇〇万円の代金を取得し、また新座市に対しても昭和四六年四月ころから同年八月ころにかけて土地を売却し、合計一億円以上の代金を受領しているが、これらの代金が被告人からの借入金の元利の支払にあてられたものと認められる。また横田忠次は、兄弟からも借入をしているが、当時金融機関等からの借入に対する返済はほとんどなされていないので、右借入金も被告人に対する返済にあてられたものと認められ、これらの事実を併せると、横田忠次が本件当時被告人に対し、前認定の元利金の返済をするだけの財源を有していたことは明らかである。所論は採用できない。

二  債権譲渡益について

検察官は、横田忠次は昭和四七年三月二五日本件共立土地のうち約三〇町歩(以下、「共立土地三〇歩」という。)を斉藤忠亮に代金六五〇〇万円で売却し、同人から右代金支払のため約束手形四通額面合計六五八八万四〇〇〇円の交付を受けたが、本件共立土地の購入資金を被告人から借入れた際振出した前記三四一〇万円の小切手の支払に窮し、被告人に右小切手債権を放棄させるため、右約束手形四通を譲渡したので、被告人において、右約束手形六五八八万四〇〇〇円と小切手三四一〇万円との差額三一七八万四〇〇〇円の債権譲渡益が発生した、仮に右債権譲渡の事実が認められないとしても、被告人は、昭和四七年一一月二七日、横田忠次との和解契約により、同人に対する右小切手債権三四一〇万円に対する代物弁済として、右約束手形四通額面合計六五八八万四〇〇〇円に相当する共立土地三〇町歩を取得したのであるから、右の差額三一七八万四〇〇〇円の所得が発生したと主張し、これに対し弁護人は、右六五八八万四〇〇〇円の債権譲渡があったといえるためには、譲渡人である横田忠次と譲受人である被告人との間に右債権譲渡の合意がなければならないが、本件において両者間にそのような合意がなされた事実はない、また共立土地三〇町歩は農地であって譲渡は不可能であり、被告人が、これを代物弁済として取得することはできない等るる主張し右検察官の主張を争うので検討を加える。

先ず、本件共立土地の売買及び代金支払の経緯等についてみると、関係証拠ことに証人横田忠次の公判調書中の各供述部分、同斉藤忠亮の尋問調書、押収してある横田忠次関係書類一綴(符4)、済小切手六枚(符5)、済小切手等(符6)によれば、横田忠次は、前認定のとおり、昭和四七年一月二二日門間賢司から本件共立土地を代金五四〇〇万円で購入し、右代金支払のため三回にわたり被告人から合計五四〇〇万円を借受けたが、その際右借入金に各一割の利息を加算した額面が五五〇万円、二二〇〇万円、三四一〇万円の各小切手を振出し、被告人に交付したこと、しかるに右額面五五〇万円及び二二〇〇万円の各小切手はどうにか決済したものの、三四一〇万円の小切手については返済資金に窮し決済できなかったこと、ところで、横田忠次は、昭和四七年三月二五日ころ、被告人の仲介により本件共立土地のうち三〇町歩を斉藤忠亮へ六五〇〇万円で売却し、同人より、同人振出にかかる額面合計六五八八万四〇〇〇円の約束手形四通を受取ったが、これを前記三四一〇万円の小切手の支払にあてるため、被告人を通じて東邦信用金庫西荻窪支店へ割引の依頼をしたこと、その際横田忠次と被告人との間で、右約束手形の割引により取得した金員で三四一〇万円の小切手を決済し、同小切手は取立にまわさないとの約束がなされたこと、ところが被告人は横田忠次と斉藤忠亮との間で締結された前記共立土地三〇町歩の売買において作成された売買契約書の一二項に、横田忠次は被告人に対し六五〇〇万円の債務を負っているが、これを右約束手形四通で決済する旨の条項を勝手に書き加えたうえ、立会人欄に被告人の氏名を記載して押印し、これを東邦信用金庫西荻窪支店長に呈示し、約束手形四通を同支店から受取ったこと、その後被告人は、前記横田忠次との約束を破り、同年四月三日三四一〇万円の小切手を取立にまわし、翌四日これが不渡となるや、同月一〇日東京地方裁判所八王子支部に対し右小切手債権を被保全権利とする仮差押命令の申請をして、横田忠次所有の宅地等に仮差押をなし、さらに同月二〇日同支部に小切手金請求訴訟を提起したこと、他方横田忠次は、被告人の右約束に反した行動に憤慨し、弁護士下川好孝に相談した結果、被告人に対しては巨額な利息の過払分があってその返還請求ができることを知り、被告人にその旨を伝えたところ、被告人の態度が変り、同年一一月二九日横田忠次と被告人との間に次のような文言の和解契約が成立した、すなわち〈1〉被告人は横田忠次に対し、過払利息として一一〇〇万円を返還する。〈2〉被告人は横田忠次に対する三四一〇万円の小切手債権を含むすべての債権を放棄し、被告人の所持する横田忠次振出の右小切手等六通を同人に返還する。〈3〉斉藤忠亮振出の約束手形六五八八万四〇〇〇円は、横田忠次の裏書を抹消したうえ、斉藤忠亮に返還するため被告人に預ける。〈4〉横田忠次は共立土地三〇町歩が被告人の所有であることを認める。以上の各事実が認められる。

そこで被告人において、右約束手形六五八八万四〇〇〇円と小切手三四一〇万円の差額である三一七八万四〇〇〇円の債権譲渡益が生じたものかどうかを検討する。

前記和解契約によれば、被告人は横田忠次に対する三四一〇万円の小切手債権を放棄し、他方横田忠次は被告人に対し共立土地三〇町歩が被告人の所有に属することを認め、横田忠次が右共立土地三〇町歩の売買代金の支払のために斉藤忠亮から振出交付を受けていた六五八八万四〇〇〇円の約束手形については、被告人の手を経て斉藤忠亮へ返還することとされている。しかるに関係証拠によれば、右約束手形は和解契約における被告人の代理人佐藤英二弁護士が保管していたが、右和解条項の文言どおり斉藤忠亮へ返還されていないばかりか、被告人には右約束手形を同人へ返還する意思など全くなかったものであって、斉藤忠亮に対しては、右約束手形が取立にまわらないよう責任をもつので、共立土地三〇町歩の処分等一切を被告人に委せるよう申し向けたうえ、横田忠次との共立土地三〇町歩の売買契約を解除する旨の通知をさせていること、右約束手形はもともと斉藤忠亮から横田忠次に対する売買代金の支払として振出されたものであるから、共立土地三〇町歩の売買契約が解除になれば、約束手形は横田忠次から斉藤忠亮へ返還される筋合のものであるが、右和解契約において約束手形は被告人の手を経て斉藤忠亮へ返還することとされていること、その後被告人が右約束手形を斉藤忠亮へ返還しないことについて同人も横田忠次も異議をとなえていないこと等の事実が認められるのであって、これらの事実を併せ考えると、和解契約における本件約束手形返還の条項の実体は、被告人が横田忠次に対する三四一〇万円の小切手債権を放棄することの見返りとして、共立土地三〇町歩を取得することになったが、横田忠次において右土地の所有権が被告人にあることを認めても、同土地が農地であって被告人がこれをたゞちに取得できないうえ、同土地の登記簿上の名義人である斉藤忠亮が和解契約に関与していなかったことから、約束手形を横田忠次を通して斉藤忠亮に返還することとせずに、共立土地三〇町歩を取得するまでの担保として、被告人にこれを取得させたものと認められる。右によれば、被告人は、横田忠次に対する三四一〇万円の小切手債権を放棄する一方、共立土地三〇町歩が取得できない場合の担保として、六五八八万四〇〇〇円の約束手形を横田忠次から譲り受けたもの、すなわち、三四一〇万円の小切手債権を放棄する見返りとして六五八八万四〇〇〇円の約束手形債権を取得したものと認められるから、和解契約により、約束手形六五八八万四〇〇〇円と小切手三四一〇万円との差額である三一七八万四〇〇〇円の債権譲渡益が被告人において発生したものと認められる。弁護人の主張は採用できない。

三  貸倒損について

弁護人は、被告人の横田忠次に対する昭和四五年一二月末現在の貸付元本残は五五〇〇万円であるが、これより昭和四六年八月二一日同人から返済を受けた一〇四〇万円を差引いた四四六〇万円と、前記小切手金額三四一〇万円のうち貸付元本に相当する二九〇〇万円の合計七三六〇万円は、本件和解により放棄されたので、同金額が昭和四七年分の横田忠次に対する貸倒損金として計上されるべきであると主張する。

そこで検討すると、横田忠次ノート記載の昭和四五年一二月末日現在の元本残高が五五〇〇万円であることは所論のとおりであるが、関係証拠によれば、右五五〇〇万円は利息分として支払われたものが元本に対する返済としても差引かれるなどして算出されているので、その分を操作すると、昭和四五年一二月末の元本残は、横田忠次の検察官に対する昭和五〇年三月一日付供述調書添付の「債務者別課税利息等一覧表」の昭和四五年一二月末現在欄の貸付元本残六八三五万円となるところ、その後前記のとおり、新たに一〇〇〇万円が貸付けられ、元本に対し合計三〇〇〇万円が返済されているので、これらを増減すると、本件和解当時の貸付元本残高は四八三五万円になるが、被告人は本件和解により右四八三五万円を放棄したこと(横田ノートの昭和四六年一〇月五日の欄には、前記のとおり二〇〇万円の元本支払の記載があり、同記載によれば、同日同金額について元本の減額がなされたかのようであるが、関係証拠によれば、その後の処理として右二〇〇万円につき元本の減額はなされていないので、本件和解に際し、右二〇〇万円を含む四八三五万円の放棄があったものと認められる。)、所論の三四一〇万円の小切手については、前叙のとおり、右和解において横田忠次をして共立土地三〇町歩が被告人の所有であることを認めさせ、六五八八万四〇〇〇円の約束手形の返還を放棄させることによって消滅したものであることがそれぞれ認められる。以上によれば、被告人の横田忠次に対する昭和四七年分の貸倒損は四八三五万円である。

第二五菱興業株式会社関係

一  利息収入について

(一) 弁護人は、被告人の五菱興業株式会社(以下、株式会社は「五菱興業(株)」というように表示する。)に対する貸付は十分な資料がないので明らかでなく、そのため受取利息も詳細は不明であるが、被告人の記憶では五菱興業(株)から受領した利息は、昭和四六年については、門間商事(株)からの北海道の土地の購入資金として二〇〇〇万円を貸付けたときに謝礼として受領した二〇〇万円及び五菱興業(株)仙台事務所で受領した五〇万円、右のほかその他の貸付に対する利息として受領した分を合わせて合計三〇〇万円程度であり、また昭和四七年については二五万円程度であって、検察官が主張するような多額の利息を受取ったことはない。検察官は、五菱興業(株)の振出にかかる約束手形及び小切手が被告人から取立にまわり、同社の預金口座で相当回数決済されていることから、多額の利息が被告人に支払われたものと主張するようであるが、五菱興業(株)では被告人に振出した約束手形及び小切手の決済ができず、そのため被告人が資金をまわして決済したものであるから、右約束手形及び小切手が銀行決済されているからといって、五菱興業(株)がこれを支払ったものとはいえないと主張する。 そこで検討すると、被告人と五菱興業(株)間の貸借を明らかにする証拠として、樋笠岩雄作成の上申書(甲一210)添付の「貫井一雄に対する振出約束手形等一覧表」(以下「一覧表」という。)及び「貫井一雄からの借入金、支払利息の支払経過明細書」(以下、「明細書」という。)が存在し、右一覧表は、五菱興業(株)の経理担当者であった樋笠岩雄が、同社の倒産前に、代表取締役渡辺重明の指示により、五菱興業(株)の借入関係を明らかにするため、樋笠岩雄本人が記入していた借入金メモ(符27)、約束手形及び小切手、これらの耳、渡辺重明が借入をメモした手紙、右手帳等より被告人からの借入分を拾い出した貫井氏関係振出手形一覧表(符28)等に基づき、それまでになされた被告人と五菱興業(株)との貸借の日時、金額、元利金の支払状況等を整理したものであり、また明細書は右各資料のほか、一覧表作成後に入手した資料である銀行の当座取引帳簿、手形帳等と照合して一覧表の記載を補充訂正したものであり、特に明細書については作成当時渡辺重明において正確に記載されたかどうかをチェックしているものであって、関係証拠とも符合し、正確に記載されたものと認められる(なお、前記上申書添付の「貫井一雄からの借入金並びに支払利息明細書」は、樋笠岩雄が、本件に関し、査察官の指示により、右一覧表及び明細書をもとに、特に、利息の支払状況を明らかにするために作成したものである。)。右一覧表及び明細書等のほか、証人樋笠岩雄、同渡辺重明の各公判調書中の供述部分等を総合すれば、検察官主張のとおり、五菱興業(株)が被告人から借受け、利息を支払ったものと認めるに十分である(ただし、昭和四七年五月二一日及び同年六月五日の各五〇〇万円が利息として支払われたことについては、後記のとおり、疑問がある。)。

また、関係証拠によれば、被告人が所論のように何らの利益を得ることなしに五菱興業(株)にかわって同社に対する貸付の決済をすることはとうてい考えられないところ、被告人が五菱興業(株)振出の約束手形及び小切手を利息もとらずに自己の資金で決済したことについては、被告人が供述しているだけであってこれを裏付ける証拠がないばかりでなく、証人渡辺重明は、当公判廷において、被告人に振出した約束手形及び小切手の決済資金がないときは、他から借用した資金で決済するか、被告人に依頼し利息を支払って書替えをしてもらうか、被告人から新たに借入れを起こして決済していたものであり、利息も支払わずに被告人の資金で決済してもらったことはないと明確に供述し、右は関係証拠に沿うものであって十分信用できる。所論はとうてい採用できない。

(二) ところで、弁護人は、検察官主張の利息収入について個別的に争い、(1)昭和四六年一一月四日の三〇〇万円は、三菱銀行上野支店の小切手で決済され、昭和四七年三月一五日の七〇〇万円は太陽神戸銀行上野支店の約束手形で決済されたこととされているが、一覧表では決済になっていないし、右小切手及び約束手形は、被告人の取引銀行である東邦信用金庫西荻窪支店の取立にもまわっていない。(2)昭和四七年五月一八日と同年六月五日の各五〇〇万円は、一覧表、明細書によれば現金で支払われたこととされているが、前記借入金メモ(符27)にその記載がない。(3)昭和四七年六月二五日の七六万円は、一覧表及び明細書によれば、京橋堂振出の額面七七六万円の約束手形のうちの七六万円であり、協和銀行京橋支店で決済されたこととされているが、右約束手形は被告人の取引銀行の取立にまわっていない。(4)昭和四八年五月一〇日の三〇〇〇万円と三〇〇万円の支払は、同日決済された松島建築研究所振出の小切手八三〇〇万円のうちの三三〇〇万円であるが、右八三〇〇万円の小切手は、同年四月四日の貸付金五三〇〇万円と、弁第七号の四ないし七の約束手形及び小切手の額面合計四五〇〇万円のうちの三〇〇〇万円を支払うために振出されたものであって、利息支払のために振出されたものではないと主張するので、以下順次検討を加える。

所論(1)について

昭和四六年一一月四日の三〇〇万円、同四七年三月一五日の七〇〇万円について、一覧表に支払済の記載がないことは所論のとおりである。しかしながら、川和正夫の検察官に対する供述調書(甲一200)、明細書等によれば、右各額面の小切手及び約束手形が取立にまわされ、決済されていることは明らかであり、証人樋笠岩雄は前記のとおり、一覧表は明細書の前に作成したものであって、その後入手した銀行の当座取引帳等と照会したところ、右各利息の支払につき記載もれがあり、これを補充して作成したのが明細書であり、右小切手及び約束手形が決済されたことは間違いないと供述しており、所論の小切手及び約束手形が決済され、前記三〇〇万円及び七〇〇万円が被告人に支払われたことは明らかである。所論は採用できない。

所論(2)について

明細書には、昭和四七年五月一八日及び同年六月五日に各五〇〇万円が現金で支払われた旨記載されているが、同明細書においてはこれらが利息として支払われたことについては明らかにされていないところ、証人樋笠岩雄は、当公判廷において、右各五〇〇万円が支払われたことは間違いないが、右明細書及び前記樋笠岩雄作成の上申書添付の「貫井一雄からの借入金並びに支払利息明細書」作成の段階においても、右各五〇〇万円が元本に対する返済としてなされたか、利息として支払われたかについては必ずしも明らかでなかったと明確に供述し、証人渡辺重明も同趣旨の供述をしているものであり、他に右各五〇〇万円が利息として支払われたことを認めるに足る証拠はない。従って、所論は理由があるので、検察官主張の昭和四七年分の受取利息額から右各五〇〇万円を控除することとする。

所論(3)について

京橋堂振出にかかる額面七七六万円の約束手形が被告人の取引銀行の東邦信用金庫西荻窪支店から取立にまわっていないことは所論のとおりである。しかしながら、関係証拠ことに証人樋笠岩雄、同渡辺重明の各公判調書中の供述部分、一覧表及び明細書等によれば、右京橋堂振出の額面七七六万円の約束手形は、五菱興業(株)の渡辺重明が同京橋堂振出の額面五〇〇万円の約束手形とともに被告人に割引を依頼し、七六万円の割引料を支払って一二〇〇万円を受取り、右五〇〇万円の約束手形は昭和四七年六月二一日に、七七六万円の約束手形は同月二五日にそれぞれ決済され、被告人に支払われたことが明らかである。所論は採用できない。

所論(4)について

関係証拠ことに証人渡辺重明の公判調書中の供述部分、被告人作成の証明書(甲一127)、前記一覧表及び明細書等によれば、昭和四八年四月一七日、被告人と矢本新平との間で、五菱興業(株)の被告人からの借入についての保証債務として一億四五〇〇万円の残高があることを確認したうえ、矢本新平が被告人に対し右一億四五〇〇万円のうち一億円を支払うことにより、右残債務一切を精算する旨の合意が成立し(前記証明書添付の昭和四八年四月一七日付合意書部分。以下、右合意書部分を「合意書〈1〉の四月一七日部分」という。)、右一億円は同月二三日矢本新平から被告人に支払われたこと(同証明書添付の領収書参照)、ところで、被告人は、右合意書〈1〉四月一七日部分において、右一億円の支払を受けたときには担保物件の土地に設定してあった抵当権、賃借権、代物弁済による所有権移転の仮登記上の権利を放棄し、右各登記を全部抹消することの承諾をしたが、借主である五菱興業(株)に対する関係では、一億四五〇〇万円から矢本新平の返済分一億円を差引いた四五〇〇万円の債務が残ったため、同月二二日、右抵当権等の抹消条項のうち農地に設定された担保部分を除外する旨訂正したこと(前記証明書添付の四月二二日付合意書部分。以下、右合意書部分を「合意書〈1〉の四月二二日部分」という。)、また右同日、被告人は渡辺重明に対し、矢本新平から支払を受ける一億円のうちから五〇〇〇万円を、松島建築研究所の運営資金として、新たに貸付けることとし、渡辺重明との間で右五〇〇〇万円に三〇〇万円の利息分を上乗せした五三〇〇万円を貸付ける旨を記載した合意書を作成したこと(同証明書添付の同月二二日付合意書、以下「合意書〈2〉」という。)、その後同月二四日、被告人と五菱興業(株)及び渡辺重明との間で、前記残債務四五〇〇万円のうち八〇〇万円を免除したうえ、未払利息分三七〇〇万円(右三七〇〇万円は、合意書〈1〉に添付された約束手形三枚の額面合計額であり、証人渡辺重明の公判調書中の供述部分、前記一覧表及び明細書等により、五菱興業(株)の被告人からの借入に対する未払利息であることは明らかである。)の残債務があることを確認し(同証明書添付の支払債務合意書参照)、右三七〇〇万円については、五菱興業(株)がそのうち三〇〇〇万円を支払えば、残余は一切免除することとしたこと、また同日被告人から五菱興業(株)に対し前記貸付金として五〇〇〇万円が支払われたが、その際、五菱興業(株)では被告人に対し、前記五〇〇〇万円に三〇〇万円の利息を乗せた五三〇〇万円と右未払利息三七〇〇万円のうち三〇〇〇万円を支払うために、額面八三〇〇万円の小切手を振出したこと、同小切手は同年五月一〇日決済され、これをもって被告人と五菱興業(株)間の貸借関係は一切終了したこと、以上の各事実が認められる。右によれば、五菱興業(株)は、右五月一〇日八三〇〇万円の小切手を決済したことにより、被告人に対し、五〇〇〇万円に対する三〇〇万円の利息と、未払利息分三七〇〇万円のうち三〇〇〇万円、以上合計三三〇〇万円の利息を支払ったことが明らかである。

ところで、弁護人は、右八三〇〇万円の小切手の中に前記未払利息三七〇〇万円のうち三〇〇〇万円が含まれていることを争い、右小切手の支払日は昭和四八年五月一〇日であるが、前記証明書添付の支払債務合意書(以下、「支払債務合意書」という。)の右残債務三七〇〇万円の支払期限は同年八月三〇日と定められていて右小切手の支払日と異なるので、同小切手の八三〇〇万円の中に右三七〇〇万円のうちの三〇〇〇万円が含まれることはない。当時被告人と五菱興業(株)との間には、右三七〇〇万円の残債務のほかに、京橋堂振出の額面合計四五〇〇万円の約束手形及び小切手が残存しており、そのうちの三〇〇〇万円が右小切手の八三〇〇万円の中に含まれるものである旨主張する。

そこで検討すると、本件額面八三〇〇万円の小切手の支払日が昭和四八年五月一〇日であり、他方支払債務合意書によれば、五菱興業(株)及び渡辺重明は被告人に対し残債務三七〇〇万円を同年八月三〇日までに弁済すると記載されていること、京橋堂振出の額面合計四五〇〇万円の約束手形及び小切手(弁第七号の四ないし七)が当時被告人の手許に残っていたことは所論のとおりである。しかしながら、他方において、合意書〈1〉の同年四月二二日部分によれば、もともと残債務の精算期限としては同年五月一〇日が予定されていたものであって、右小切手の支払日と符合する。また額面八三〇〇万円の小切手は、新たな貸付金五〇〇〇万円が五菱興業(株)へ支払われた同年四月二四日に渡辺重明によって振出されているところ、前記三七〇〇万円の残債務も支払債務合意書によって同日確認されているので、右小切手の額面に右三七〇〇万円の残債務のうちの三〇〇〇万円を含めて振出したものとみるのが自然である。さらに、証人渡辺重明は、当公判廷において、所論の京橋堂振出にかかる約束手形及び小切手は、被告人から要求され、すでに被告人のもとに差入れられていた五菱興業(株)振出の約束手形及び小切手のみかえりとして差しかえられたものであって、右四月二四日当時右三七〇〇万円のほかに残債務はなかった旨明確に述べているが、本件当時倒産寸前の状態にあった五菱興業(株)の事情等を考慮すると十分信用できる。以上のとおりであって、小切手八三〇〇万円の中には、右三七〇〇万円のうち三〇〇〇万円が含まれるものと認められる。所論は採用できない。

二  貸倒損について

弁護人は、五菱興業(株)は被告人に対し、昭和四七年一二月末日現在において、借入金の元利の返済のために振出した約束手形及び小切手額面合計一億九〇〇〇万円の債務を負担し、そのうち元本分が一億六八〇〇万円、利息分が二二〇〇万円であったが、被告人は、昭和四八年四月二二日、右一億六八〇〇万円のうち矢本新平から同人保証分として一億円の支払を受け、次いで同年五月一〇日松島建築研究所振出の小切手八三〇〇万円が決済されたことにより三〇〇〇万円の元本返済を受けたが、残余の三八〇〇万円については、被告人が支払を免除したので、同金額は昭和四八年分の貸倒損として控除されるべきであると主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、前記のとおり、昭和四八年四月一七日当時被告人が五菱興業(株)に対し有していた貸付元利金の残額は一億四五〇〇万円であり、そのうち元本分が一億八〇〇万円、利息分が三七〇〇万円であったが、保証人矢本新平が右元本のうち一億円を返済したこと、その後五菱興業(株)は、同月二四日、被告人から新たに五〇〇〇万円を借受け、これに三〇〇万円の利息を上乗せした五三〇〇万円と、前記利息分三七〇〇万円のうちの三〇〇〇万円との合計八三〇〇万円を額面とする小切手を振出し、同年五月一〇日右小切手が決済されたこと、被告人は、五菱興業(株)に対し、右小切手の決済により、残余の貸付金の支払を免除し、被告人と五菱興業(株)の貸借は一切終了したこと、以上の各事実が認められる。右によれば、右一億八〇〇万円と五〇〇〇万円の合計一億五八〇〇万円の元本から、返済分の一億五〇〇〇万円を差し引いた八〇〇万円について、債務免除がなされたことになるから、検察官主張のとおり、同金額が昭和四八年分の貸倒損となる。所論は採用できない。

第三櫻井治兵衛関係

一  利息収入について

(一) 弁護人は、検察官が主張する櫻井治兵衛からの被告人の利息収入を争い、(イ)別表(五)の(1)の番号1ないし11の元本を一本にまとめた三〇六〇万円に対する月額二七五万四〇〇〇円の利息は、同表(2)の番号1と2の利息各二七五万四〇〇〇円と、同番号3の利息のうち一四五万円が支払われたのみである(右番号1の利息二七五万四〇〇〇円は昭和四六年一月一七日に支払われたが、右番号2の利息二七五万四〇〇〇円と番号3の一四五万円の支払については、同年四月一六日七〇万四〇〇〇円、同月三〇日一〇〇万円、昭和四七年二月一六日二五〇万円と遅れて支払われている。)。昭和四六年四月以降の各利息の支払については、額面二七五万四〇〇〇円の約束手形が振出されたが、昭和四七年二月初めまでは、被告人が櫻井治兵衛の取引銀行に資金を入金して決済したものであって、同人が支払ったことはない。また同月一八日以降については、被告人が取引銀行である東邦信用金庫西荻窪支店に右約束手形の額面相当の金を入金して同約束手形を取戻したものであり、櫻井治兵衛の取引銀行で決済されたこともない。(ロ)別表(六)の(1)の1ないし6のとおり、昭和四六年五月に元本二〇五〇万円(同表(1)の1ないし5)と利息分二五〇万円(同表(1)の6)を合わせた二三〇〇万円に対する月額二〇七万円の利息の支払は、櫻井治兵衛より同額面の約束手形が振出されたが、右各約束手形はいずれも被告人が資金を出して櫻井治兵衛の取引銀行で決済したものであり、同人が決済したことはない。(ハ)被告人は櫻井治兵衛に対し、右別表(五)、(六)の各(1)記載以外に貸付けたことはないので、別表(七)の(1)、(2)の検察官の貸付及び受取利息の主張は誤りである。すなわち、被告人が櫻井治兵衛に貸付け、利息を受領した分については、貸付にあたり同人が振出した約束手形及び小切手が被告人の取引銀行である東邦信用金庫西荻窪支店を通して取立にまわされているか、約束手形等に被告人の自筆による利息受領済の記入であるか、被告人作成の貸付金メモ(符92ないし98)に利息の受取予定日の記入がある筈であるが、検察官において被告人が櫻井治兵衛に貸付けたと主張する昭和四五年一二月八日一八五万円、同月二二日三五〇万円、同月二八日三六〇万円、昭和四六年一月一六日二五〇万円、同年四月二八日一五〇万円等については、そのような形跡や記載がないので、貸付がなされて利息を受領したものではないと主張する。

そこで検討すると、検察官は被告人の櫻井治兵衛からの本件受取利息を主として押収してある借入台帳七枚(符101、以下「台帳」という。)、巻紙(借入系統図)一枚(符99、以下「巻紙」という。)、借入金支払利息明細表(系統図)四枚(符100、以下「系統図」という。)、櫻井治兵衛作成の上申書(甲一198、以下「上申書」という。)等により立証するものであるが、証人櫻井治兵衛の当公判廷における供述、同人の公判調書中の各供述部分等によれば、台帳は、櫻井治兵衛が昭和四七年二月ころ、保谷農業協同組合(以下「保谷農協」という。)から融資を受けてそれまでの借入金の精算をするため、手許に残存していた約束手形及び小切手の耳、借入及び返済等の際にメモした手帳、銀行の当座取引帳の写等に基づき、被告人からの借入及び返済の状況を整理したものであり、巻紙は同年暮ころ、武蔵野税務署員が金銭の動きを整理するために作成していたメモにヒントを得て、被告人からの借入及び元利金の支払状況を把握する目的で、右台帳、当座取引帳の写等をもとに作成したものであり、また系統図は、昭和四九年五、六月ころ、被告人に対する利息の支払を明らかにする目的で、関係資料に基づき右巻紙を整理しなおしたものであり、更に上申書は昭和五〇年二月ころ、右台帳、巻紙、系統図等をもとに被告人からの過去の借入及び利息の支払状況等を月ごとに整理したものであるところ、いずれも詳細かつ克明に記載されていて、相互に整合性が認められるうえ、各記載内は、若干の記入ミス等が認められるものの、別表(五)ないし(七)の各(1)、(2)の関係証拠欄記載のメモ類(符41、92ないし98)、小切手及び約束手形等(符40、42ないし59、61ないし87)、同写(符88ないし90)、金圓借用証(符60)等客観的な証拠とも符合し、正確に記載されたものと認められる。そして右各証拠のほか、証人井口和雄、同川和正夫の当公判廷における各供述、川和正夫、秦孝司の検察官に対する各供述調書(甲一200、201)、井口和雄作成の上申書(甲一199)等を併せると、被告人は検察官主張のとおり、櫻井治兵衛に貸付け、利息の支払を受けたものと認められる。なお、所論にかんがみ、若干の補足的説明をすると次のとおりである。

(イ) 一一口三〇六〇万円の貸付分について(別表(五)の(1)、(2))

別表(五)の(1)記載の各貸付は、昭和四五年一一月、被告人の櫻井治兵衛に対する貸付けのうち、一一口分をまとめて三〇六〇万円とし、これに対する利息二七五万四〇〇〇苑を一括して支払うこととしたものであって、別表(五)の(1)系統図番号〈32〉(以下、「系〈32〉」というように表示する。)は、櫻井治兵衛が昭和四四年四月二六日二二〇万円を借入れたが、同年五月二〇万円、同年八月八〇万円をそれぞれ返済したため、同四六年一月現在の元本残高が一二〇万円となったものである。また系〈38〉は昭和四四年八月二二日二四五万円を借入れたが、同年九月五万円、同四七年三月二四〇万円を支払って完済し、系〈51〉は昭和四五年七月三一日五〇〇万円を借入れ、同年九月一〇〇万円を返済したため、同四六年一月現在の元本残高が四〇〇万円となったものであるが、以上のほか当初の貸付元本に対する返済はなされていない。

また右三〇六〇万円に対する利息の支払は、別表(五)の(2)記載のとおりであるが、昭和四六年二月相当分の利息二七五万四〇〇〇円は、同年三月二三日右金額に四五万円を加算した三二〇万四〇〇〇円の約束手形(符56)が振出され、そのうち七〇万四〇〇〇円は同年四月一六日現金で支払われ、残余の二五〇万円は被告人から新たに借入れた金員で支払われたものである。同年三月相当分の利息二七五万四〇〇〇円は、同金額に一〇五万九〇〇〇円を加算した三八一万三〇〇〇円について、額面二八一万三〇〇〇円と同一〇〇万円の各小切手が振出され、同各小切手が同年五月一七日、同年四月三〇日にそれぞれ決済され支払われたものである。昭和四七年一、二月相当分の利息合計五五〇万八〇〇〇円、額面五三〇万円の約束手形(符42、決済日同年四月一二日)と現金二〇万八〇〇〇円(同月一八日支払)により支払われたものである。同年三月相当分以降の利息は、系〈38〉の元本が完済され元本残が二八二〇万円となったため、月額二五三万八〇〇〇円となったものであり、同年三月相当分の利息の支払は同額面の約束手形(系〈138〉が振出されたが決済されなかったため、右利息、金額にその延滞金一九万二〇〇〇円と系〈141〉の利息二七万円を加えた三〇〇万円の約束手形(符66、系〈143〉)が新たに振出され、そのうち五〇万円が現金で支払われたが(内二三万円が系〈138〉の支払であり、残余の二七万円が系〈141〉の支払である。)、残余の二五〇万円は決済されず、そのため更に二五万五〇〇〇円の延滞金が加算され二七五万五〇〇〇円となり、これが系〈156〉、〈165〉と書替えられていったものである。同年四月相当分の利息二五三万八〇〇〇円は、同額面の約束手形(符64、系〈144〉)が振出され、そのうち一三万八〇〇〇円が同年五月二二日現金で支払われ、残額二四〇万円について同額面の小切手が振出されたが決済できず、そのため延滞金として二一万六〇〇〇円が加算されて二六一万六〇〇〇円となり、右延滞金二一万六〇〇〇円については同年六月一六日現金四万五〇〇〇円、同月一八日額面一七万一〇〇〇円の約束手形により支払われたが、残余の二四〇万系151B、〈165〉と書替えられていったものである。

(ロ) 六口二三〇〇万円の貸付分について(別表(六)の(1)、(2))

別表(六)の(1)記載の各貸付は、昭和四六年五月現在の貸付額が六口合計二三〇〇万円の分であるが(ただし、系〈74〉の二四〇万円は前記のとおり三〇六〇万円の同年二月相当分の利息二七五万四〇〇〇円の残額である。)、系〈63〉、同〈66〉、同〈67〉、〈69〉、同〈75〉については、同〈62〉、同〈134〉(同〈74〉)とともに、昭和四七年二月一八日保谷農協振出の額面二三五〇万円の小切手により完済され、系〈67〉は同年四月二二日二〇〇万円が返済されたが、残額の三〇〇万円が系〈141〉、同〈155〉、同〈164〉、同〈165〉と書替えられていったものである。

また、系〈63〉、同〈66〉、同〈67〉に対する昭和四六年二月相当分利息の支払は、系〈62〉の利息二二万五〇〇〇円を加えた額面一二一万五〇〇〇円の約束手形が振出され、その後五一万五〇〇〇円は現金で支払われ、残額七〇万円は同年三月六日約束手形(符74)が決済されて支払われたものである。系〈66〉、同〈75〉に対する同年三月相当分の利息合計六七万五〇〇〇円は、同〈61〉、同〈62〉の同年三月相当分の利息合計五四万九〇〇〇円を合わせた額面一二四万四〇〇〇円の約束手形(系〈177〉、右額面一二四万四〇〇〇円は右各利息の合計額一二二万四〇〇〇円より二万円多いが、櫻井治兵衛が金額を書き間違えて振出したものである。)が、同年四月一七日決済されて支払われたものである。系〈67〉(同〈141〉)の昭和四七年四月相当分の利息二七万円は、前記のとおり、同金額に前記二八二〇万円に対する同年三月分の利息二五三万八〇〇〇円とこれに対する延滞金一九万二〇〇〇円を合わせた額面三〇〇万円の約束手形(符66、系〈143〉)が振出され、五〇万円が現金で支払われ決済されたものである。系〈67〉(同〈141〉)の同年五月相当分の利息二七万円は、同月二二日同額面の小切手(符〈90〉)が振出されたが、右五月相当分の利息が同年六月三日現金で支払われたため、右小切手の振出日を同月二三日と訂正したうえ、同年六月相当分の利息の支払にあてられた(系〈154〉)ものである。

(ハ) その他弁護人の争う貸付について(別表(七)の(1)、(2))その他弁護人の争っている貸付及びその利息の支払は、別表(七)の(1)、(2)のとおりであるが、系〈160〉、同〈161〉は、昭和四七年六月一三日一〇〇〇万円を借入れ、その後同年七月一三日利息分の九〇万円を加えた一〇九〇万円(系〈153〉)とこれに対する一一〇万円の利息分を合わせた合計一二〇〇万円を返済するため、新たに同金額を借入れたが、右借入金一二〇〇万円は同年八月一三日五〇〇万円、同月一八日七〇〇万円支払われたものである。

なお、台帳、巻紙、系統図、櫻井治兵衛と題する綴(符40)、小切手(符42)等によれば、昭和四七年八月三日、被告人と櫻井治兵衛との間で、同日現在の両者間の残債務が四一八三万四〇〇〇円であって、これに対する同年九月から一一月までの利息が各三七六万五〇六〇円であることが確認されているが、右四一八三万四〇〇〇円の内訳は、前記三〇六〇万円のうちの二八二〇万円(系〈32〉の二〇〇万円、同〈36〉の三〇〇万円、同〈40〉の四〇〇万円、同〈42〉の三〇〇万円、同〈43〉の六〇〇万円、同〈45〉の一五〇万円、同〈46〉の二〇〇万円、同〈48〉の二〇〇万円、同〈51〉の四〇〇万円、同〈54〉の一五〇万円の合計額)、二三〇〇万円のうちの三〇〇万円(系〈67〉が同〈141〉、同〈155〉、同〈164〉と書替えられたもの)、三〇六〇万円に対する同年四月分の未払利息二六一万六〇〇〇円(系〈144〉が同〈151〉、同151Bと書替えられたもの)、同六月分の未払利息二七二万五〇〇〇円(系〈157〉が同〈163〉と書替えられたもの)、二八二〇万円に対する同年三月分の未払利息二七五万五〇〇〇円(系〈138〉が同〈143〉、同〈147〉、同〈156〉と書替えられたもの)、同七月分の未払利息二五三万八〇〇〇円(系〈158〉)である。

ところで、被告人は、櫻井治兵衛に対する貸付金及び利息の最終的な残高は、被告人が保管していた約束手形九通、すなわち〈1〉額面三七六万五〇六〇円(手形番号A六〇七八六)、〈2〉同三七六万五〇六〇円(同A六〇七八五)、〈3〉同三七六万五〇六〇円(同A六〇七八七)、〈4〉同四一八三万四〇〇〇円(同A六〇七八四)、〈5〉同三〇〇万円(同A六〇六四八)、〈6〉同一〇九〇万円(同AA〇〇一六二七)、〈7〉同二六一万六〇〇〇円(同D一〇一四三)、〈8〉同二五三万八〇〇〇円(同D一〇一三五)、〈9〉同二五〇万円(同A六〇六四九)の額面合計七四六八万三一八〇円であり、そのうち少なくとも右〈4〉の四一八三万四〇〇〇円の約束手形と〈6〉の一〇九〇万円の約束手形が貸付元本であることは明らかであるから、前記台帳等の記載は事実に反する旨供述しているが、前掲関係証拠によれば、前認定のとおり、被告人は櫻井治兵衛との間で、昭和四七年八月三日被告人宅において、関係資料に基づきそれまでの元利金の残を整理し、その残額が四一八三万四〇〇〇円(ただし、同年七月一三日一〇九〇万円の元利金の返済のために新たに貸付けた一二〇〇万円は、当時決済の目途があったので、右四一八三万四〇〇〇円に含めず、その後右一二〇〇万円は同年八月一三日と同月一八日に決済された。)と確認したうえ、櫻井治兵衛に対し右四一八三万四〇〇〇円の額面の約束手形(符40)と右金額に対する月九分の利息として額面三七六万五〇六〇円の約束手形三通(符41参照)を振出させたことが明らかであって、前記台帳等記載のとおり、右四一八三万四〇〇〇円のうち元本は三一二〇万円であり、その余の一〇六三万四〇〇〇円は昭和四七年三月ないし七月までの未払利息であり、当時右以外の貸付に対する元利金の支払は一切完了していたものと認められるので、右被告人の供述はとうてい措信できない。なお、昭和四七年九月一九日櫻井治兵衛所有の東京都保谷市所在の土地(後記のとおり、同人が父親から相続したものである。)について、被告人のために極度額七〇〇〇万円の根抵当権の設定登記がなされているが、関係証拠によれば、右根抵当権の極度額は被告人の求めに応じて適当に決められたものであって、右当時櫻井治兵衛に対し実際に存在した貸付残高とは関係がないので、前認定には何らの影響もないことはいうまでもない。

以上の次第で、所論は採用できない。

(二) 弁護人は、検察官の主張によれば、櫻井治兵衛は被告人に対し、昭和四六年に六一五九万五九八一円、同四七年に三〇三六万九四二二円の利息を支払ったことになるが、櫻井治兵衛が二年間で右合計約九一〇〇万円もの利息を支払うことは資金的に不可能であったと主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、櫻井治兵衛は戦後乳牛を飼育し牧場を経営していたが、昭和三一年父親が死亡したことにより、東京都保谷市内の土地約四五〇〇坪(以下、「保谷土地」という。)を相続し、その後昭和三六年ころ保谷市に対し右土地のうち約三〇〇坪を水道用地として売却し、その代金で狭山市に約四五〇〇坪の土地(以下、「狭山土地」という。)を購入し、さらに昭和三八年ころには、調布市の土地約八〇〇坪、所沢市の土地約二〇〇〇坪を購入して所有していたこと、ところで、櫻井治兵衛は、(株)大野不動産の代表取締役大野隆夫が土地購入資金を借入れるにあたり、同人に対し融通手形を振出し交付したが、大野隆夫の購入した不動産がいわゆる事件物であったため、同人は損害を被り、右融通手形を差し入れて他から借入れた金員の返済ができなくなったことから、櫻井治兵衛がこれを返済せざるを得なくなり、その資金を保谷農協や被告人から借入れるようになったこと、櫻井治兵衛は昭和四四年三月ころ保谷土地の一部を処分するなどして右被告人からの借入金をいったん精算したが、やがて前記大野隆夫に振出した約束手形の決済資金や子牛の購入資金を被告人から借入れるようになり、右被告人からの借入に対する返済は保谷農協から融資を受けこれにあてていたこと、その後被告人らに対する返済額が増大したことから、昭和四七年二月実弟の櫻井重雄に相談し、同人を通じて保谷土地約一八〇〇坪と狭山土地約四五〇〇坪を担保に保谷農協から四億六五〇〇万円の融資を受け、牧場の営業資金として約二〇〇〇万円を使ったほか、保谷農協に対するそれまでの借入の返済として一億六〇〇〇万円、被告人からの借入の返済として三二五〇万円、大野隆夫の借入先に対する返済として五〇〇〇万円ないし六〇〇〇万円をそれぞれ支払い、残りの約二億円は保谷農協に預金したこと等が認められる。そして、右各事実のほか、前認定のとおり、昭和四七年八月三日現在の被告人の櫻井治兵衛に対する貸付元利残高が四一三八万四〇〇〇円であり、その余の支払は一切終了していたこと等をも併せ考えると、櫻井治兵衛の被告人からの借入金に対する所論の利息の支払資金としては、保谷土地等を担保に提供して保谷農協から受領した借入金や、土地を処分して得た代金等があてられたものと認められるのであり、所論はとうてい採用できない。

二  貸倒損金等について

弁護人は、被告人は櫻井治兵衛に対し、昭和四七年一二月末現在で三二二〇万円の貸付金債権を有していたが、同人は当時保谷農協その他に対しても借入等による多額の債務を負担し、保谷農協からの借入金約五億五〇〇〇万円については自己の土地に対し抵当権を設定していたところ、昭和四七年七、八月ころ右土地を売却して右約五億五〇〇〇万円を返済したため無資力となり、前記被告人の櫻井治兵衛に対する三二二〇万円の貸付債権は回収不能となったので、右金額は昭和四七年分の貸倒損金として計上されるべきである。またそのころ被告人は、櫻井治兵衛とは幼なじみで、小学校の同級生であったことから、同人の窮状を考え、同人に対する債権を一切放棄したので、右三二二〇万円の貸付債権は、昭和四七年分の債権放棄による損金にもなると主張する。

そこでまず、被告人の櫻井治兵衛に対する貸付金が、本件当時回収不能の状態にあったかどうかを検討する。

関係証拠によれば、櫻井治兵衛は、前記のとおり、昭和四七年二月当時保谷土地、狭山土地等を所有し、これらを担保として保谷農協から約四億六五〇〇万円の融資を受け、被告人らからの借入金の返済や事業資金として約二億五〇〇〇万円ないし二億六〇〇〇万円を使用したほか、残額約二億円を保谷農協に預金したこと、ところが右四億六五〇〇万円の借入金が融資限度額を越えていたことから、右金額を減らすよう勧告され、保谷農協の斡旋により、(株)丸増に対し、同年八月一日保谷土地約一八〇〇坪を三億一〇〇〇万円で売却し停止条件付所有権移転の仮登記をなし、さらに同年九月一一日狭山土地を売却したこと、その後櫻井治兵衛は、同月一九日被告人の要求により、右保谷土地について被告人からの借入金の担保として極度額七〇〇〇万円の根抵当権を設定したため、(株)丸増との間に紛争が生じ、櫻井治兵衛及び被告人が告訴されるに至ったが、昭和四九年七月和解が成立し、櫻井治兵衛は(株)丸増より保谷土地の返還をうけたことが認められる。右によれば、櫻井治兵衛は本件当時保谷土地を所有し、保谷農協から数億円にのぼる多額の融資をうけるだけの経済的な信用があったばかりでなく、被告人からの借入については右保谷土地に対し極度額七〇〇〇万円の根抵当権が設定されていたものであり、被告人の貸付が回収不能の状態になかったことは明らかである。

ところで、弁護人は、右根抵当権設定登記は、実体のない架空のものであって、被告人の貸付債権を担保するために設定されたものではなく、すでに櫻井治兵衛が(株)丸増に売却し同社の仮登記がされた後に設定されたので、担保力のない、無効のものである等主張するが、右根抵当権設定登記が被告人の貸付債権を担保するためになされたことは被告人も捜査段階で認めているところであり、有効な登記であることは関係証拠上明らかである。また右登記は昭和四九年四月一〇日錯誤を原因として抹消されているが、関係証拠によれば、被告人が(株)丸増からの告訴事件を円満におさめるため、東京地方検察庁八王子支部の担当検事からすすめられて抹消したものであって、前認定を左右するものではない。さらに、保谷土地について右根抵当権設定登記がなされる前に(株)丸増の仮登記がなされていることは所論のとおりであるが、そのため右根抵当権に担保力がないとはいえないばかりでなく、関係証拠によれば、その後右仮登記は抹消されているものである。

また弁護人は、債権者から櫻井治兵衛に対し破産の申立があり、昭和五一、二年ころ破産宣告を受けたので、本件当時すでに無資力の状態にあったと主張するかのようであるが、関係証拠によれば、右破産の申立は昭和四七年の一〇月か一一月ころ、前記大野隆夫の借入先の債権者からなされ、同五一、二年ころ破産宣告がなされたものであるが、櫻井治兵衛に右破産宣告当時破産原因が存したことについては疑問があるうえ、右破産宣告後ただちに櫻井治兵衛が申立債権者に対し約八〇〇〇万円を支払って和解が成立し、右破産宣告は取消されているものであり、同人が本件当時無資力の状態にあったものとはとうてい認められない。

そこでさらに被告人が所論のように櫻井治兵衛に対する貸付債権を放棄したかどうかについて検討すると、被告人と櫻井治兵衛は幼なじみであり、小学校の同級生であったことは所論のとおりであるが、関係証拠によれば、櫻井治兵衛は、昭和四七年暮ころから同四八年にかけて、下田半次郎あるいは千葉保男弁護士を通じて被告人に対し借入金の返済額を二〇〇〇万円ぐらいにまけるよう頼んだが、被告人はこれを承知せず、そのまま現在に至っていることが認められ、被告人が本件貸付債権を放棄していないことは明らかである。被告人は前記所論に沿う供述をしているが、関係証拠にてらしとうてい措信できない。

以上のとおりであって、所論はいずれも採用できない。

第四(株)丸越関係

弁護人は、被告人は、昭和四六年一二月一九日、(株)丸越が青森地方裁判所において行われた競売により青森市大字矢沢字里見二九番七ほか六筆の土地(以下、「青森土地」という。)を競落した際、同社に対し、競落代金を支払うための資金として、一〇〇〇万円を貸付けたが、当時(株)丸越にはみるべき資産がなく、櫻井治兵衛に多額の債務を負っていたので、右被告人の一〇〇〇万円の貸付は、青森土地が昭和四七年八月櫻井治兵衛を経由して(有)武蔵野総業に売却され、その代金が(株)丸越の櫻井治兵衛に対する債務の返済にあてられたことにより、取立不能の状態になったものであるから、昭和四七年分の貸倒損として計上されるべきであると主張する。

そこで検討すると、関係証拠ことに証人櫻井治兵衛の当公判廷における供述、櫻井治兵衛と題する綴一綴(符40)、青森土地関係綴一綴(符91)等によれば、(株)丸越は不動産取引を業務としていたものであるが、昭和四六年一二月二〇日青森地方裁判所において実施された競売において青森土地を競落したこと、同社の代表取締役大野隆夫は、右競落代金を支払うため一〇〇〇万円の借入方を櫻井治兵衛を通して被告人に申し込んだところ、被告人から櫻井治兵衛振出の約束手形を差し入れなければ貸付けられないという返事があったので、同月二三日同人に依頼して利息分九〇万円を上乗せした額面一〇九〇万円の約束手形(符40)を振出してもらい、これに大野隆夫が裏書したうえ被告人に交付し、同月二九日一〇〇〇万円を借受けたこと、大野隆夫は右被告人からの借入金を青森土地を売却した代金で返済する予定であったが、(株)丸越が櫻井治兵衛から多額の借入をしていたため、青森土地を昭和四七年二月二五日と同年五月一日の二回にわたり譲渡担保を原因として同人へ所有権移転登記をしたこと、櫻井治兵衛は、同年八月一六日、被告人から青森土地の買手として(有)武蔵野総業(代表取締役斉藤忠亮)を紹介され、同社にこれを六五〇万円で売却したが、右代金全額を自己の被告人からの借入金の返済にあてたこと、その後被告人の(株)丸越に対する一〇〇〇万円の貸付は返済されないで現在に至っていること、証人櫻井治兵衛は、当公判廷において、大野隆夫は(株)大野不動産あるいは(株)丸越の代表取締役であって、本件青森土地の取引以後も不動産取引を継続して行っていたものであり、昭和四八年当時も被告人からの一〇〇〇万円の借入金を返済する能力がなかったとはいえないと供述していること、以上の各事実が認められる。右によれば、(株)丸越あるいは前記約束手形の裏書人であった大野隆夫が、本件当時、必ずしも支払能力がなかったものとはいえないばかりでなく、振出人であった櫻井治兵衛に支払能力があったことについては前述のとおりであって、被告人の(株)丸越に対する一〇〇〇万円の貸付が当時回収不能の状態になかったことは明らかである。所論は採用できない。

第五山本安彦関係

一  弁護人は、検察官は被告人が山本安彦に対し昭和四六年一一月一二日三〇〇〇万円、同年一二月二三日五〇〇万円をそれぞれ貸付けたと主張するが、右五〇〇万円を貸付けたことはない、すなわち、検察官主張の右五〇〇万円は、同年一一月一二日貸付の三〇〇〇万円に対する昭和四七年一月及び二月分の利息合計五四〇万円のうち五〇〇万円であって貸付金ではない、従って、検察官の五〇〇万円に対する同年一月分の利息四五万円の主張は誤りである、また検察官は被告人が右貸付金三〇〇〇万円に対する同年三月分の利息二七〇万円を受領したというが、受領したことはないと主張する。

(一) そこで先ず、被告人が山本安彦に対し、昭和四六年一一月二三日五〇〇万円を貸付けたかどうかを検討する。

山本安彦が昭和四六年一二月二三日被告人から五〇〇万円を利息九分(四五万円)、返済期日同月二八日の約束で借受けた旨を記載した借用書(符8)が存在し、山本安彦が同日付で五〇〇万円の約束手形を振出しているところ、被告人及び山本安彦は、検察官に対し、いずれも右借用書の記載のとおりの貸借がなされ、その支払のために右五〇〇万円の約束手形が振出されたと供述しているが、右によれば、被告人が山本安彦に対し、検察官主張のとおり五〇〇万円を貸付けたことを認めるに十分である。

ところで、証人山本安彦は、証人尋問調書において、前記検察官に対する供述を変更し、被告人から五〇〇万円を借りるため、右借用書を被告人に送付したが結局借りられなかったものであり、昭和四六年一二月二三日振出の額面五〇〇万円の約束手形は、借入金三〇〇〇万円に対する昭和四七年一月及び二月分の利息合計五四〇万円のうち当日支払った現金四〇万円を差引いた五〇〇万円の支払のためのものであると供述し、被告人も、当公判廷において、右に沿う供述をしているが、借入金三〇〇〇万円に対する昭和四六年一二月分の利息を同月一三日に支払った後、昭和四七年一月及び二月分の利息について、同月二三日現金四〇万円を支払ったうえこれを一括した残額五〇〇万円についての約束手形を振出したというのは被告人の金融業務の実際からみていかにも不自然であること、関係証拠によれば、山本安彦は被告人に対し額面四五万円の約束手形を数通振出し、これが借入金三〇〇〇万円に対する利息の支払のために振出された二七〇万円の約束手形とともに決済されているが(甲一201)、右四五万円の約束手形は山本安彦の本件借入金五〇〇万円に対する月九分の利息の支払のために振出されたものと認められること、右借入金三〇〇〇万円に対する昭和四七年一月及び二月分の利息は、後記のとおり、前記五〇〇万円の約束手形とは別に支払われていること等が認められ、これらの事実を考えると、前記証人山本安彦及び被告人の供述はとうてい措信できない。所論は採用できない。

(二) そこで次に、三〇〇〇万円に対し昭和四七年一月ないし三月にそれぞれ支払うべき利息各月二七〇万円、及び五〇〇万円に対し同年一月に支払うべき利息四五万円が支払われたかどうかを検討する。

関係証拠によれば、東邦信用金庫西荻窪支店の行員であった秦孝司は、本件当時、被告人から依頼をうけた約束手形の取立等に関与していたが、その際同人が備忘のために記入していたメモ中に、山本安彦から昭和四七年一月八日及び同年二月一四日に三〇〇〇万円に対する各二七〇万円の利息が、また同年一月二四日に五〇〇万円に対する四五万円の利息がそれぞれ現金で支払われたことの記載があること(秦孝司の検察官に対する供述調書添付の書面参照)、山本安彦は、検察官に対し、右各利息の支払のほかに、同年三月一四日三〇〇〇万円に対する利息二七〇万円を支払った旨供述しているが、被告人も、捜査段階において、各資料に基づき、右山本安彦と同様、右各利息を受領したことを明確に認めていること、山本安彦は、同年三月一四日、北海道山越郡長万部町字大浜一三番地ほか七筆の土地(以下、「大浜土地」という。)を四一〇〇万円に評価したうえ、これを本件借入金三〇〇〇万円及び五〇〇万円とこれに対する同日までの利息の代物弁済として被告人に提供しているが、右代物弁済をもって山本安彦と被告人間の貸借関係は一切終了したものであって、その後被告人が山本安彦に対し、本件各貸付金に対する元利金の支払を催促した形跡は全くないこと、以上の各事実が認められ、右によれば、山本安彦が被告人に対し、昭和四七年一月ないし三月に支払うべき利息各二七〇万円及び五〇〇万円に対し同年一月に支払うべき利息四五万円を支払ったことは明らかである。

ところで、証人山本安彦は、前記尋問調書において、昭和四七年三月一四日当時三〇〇〇万円に対する利息二七〇万円を支払う余裕などなかったものであり、また被告人から五〇〇万円を借受けたことはないからその利息として四五万円を支払ったことはないと供述し、被告人も当公判廷において同様の供述を繰り返しているが、前認定の各事実のほか、山本安彦及び被告人が捜査段階における供述を公判において変更したことについて納得しうる理由を述べていないこと、被告人は山本安彦が証人として証言した際、事前に同人と接触して自己に有利な供述をするよう慫慂した疑いがあること(証人斉藤忠亮の尋問調書)等に照らしとうてい措信できない。所論は採用できない。

二  弁護人は、被告人は昭和四七年三月一四日山本安彦から大浜土地を前記貸付金及び利息の合計三五〇〇万円に対する代物弁済として取得したが、その際同土地内に設置される架橋工事代金として同人に対し二〇〇万円を支払ったので、被告人は結局大浜土地を合計三七〇〇万円を支出して取得したことになるが、斉藤忠亮において転売するのに便利なように、大浜土地の名義を同月二八日山本安彦から斉藤忠亮へ直接移転したところ、同人がこれを勝手に(有)第一物産へ売却して横領したため、その後大浜土地が競売に付され、被告人が同土地に対し極度額三〇〇〇万円の根抵当権を有していたので三〇〇〇万円については配当を受けて回収したものの、残余の七〇〇万円については回収不能となったので、右七〇〇万円は昭和四七年分あるいは同四八年分の損金として計上されるべきであると主張する。

そこで検討すると、関係証拠によれば、被告人は、前記のとおり、昭和四七年三月一四日山本安彦から大浜土地を貸付金三五〇〇万円及びその利息に対する代物弁済として提供を受けこれを取得したが、その後これを斉藤忠亮へ四一〇〇万円で売却したため、同月二八日登記簿上被告人へ移転登記されることなく山本安彦から斉藤忠亮へ直接所有権移転登記されたこと、同人から被告人に対する右売買代金の支払は、斉藤忠亮が大浜土地を売却したときその代金で支払うという約束がなされたこと(なお、被告人が山本安彦に対し三〇〇〇万円を貸付けた際、大浜土地に極度額三〇〇〇万円の根抵当権設定登記をうけていたことから、斉藤忠亮は被告人の右根抵当権が設定された大浜土地を取得したものであり、被告人は当公判廷において右の点について、斉藤忠亮から売買代金を受領していなかったので右根抵当権を抹消しないで譲渡した旨供述している。)斉藤忠亮は、同年一〇月九日大浜土地を(有)第一物産へ買戻特約付で売却し五〇〇〇万円を取得し、同月一七日から昭和四八年にかけて移転登記を了したが、斉藤忠亮において買戻ができず、大浜土地は結局(有)第一物産の所有に帰したこと、ところで斉藤忠亮は右のとおり大浜土地を五〇〇〇万円で売却したのに被告人に対する前記売買代金を支払わなかったことから、被告人は前記抵当権に基づき競売の申立をし、競落代金から三〇〇〇万円の配当を受領したが、残金については回収できず現在に至っていること、以上の事実が認められる。右によれば、斉藤忠亮は、被告人に対し前記約束に反して売買代金を支払わなかったものであるが、同人は、被告人から大浜土地を買受け取得するに際し、代金支払債務を負ってはいたものの、取得した土地を他に売却しその代金を自己のために使用することに特段の制約はなく、したがって横領にあたらないことはいうまでもない。また昭和四七年あるいは同四八年当時、被告人の斉藤忠亮に対する売買代金が回収不能の状態に陥っていたわけではなかったことも関係証拠上明らかであって、所論の七〇〇万円を被告人の所得から控除すべき余地はない。

第六門間賢司関係

弁護人は、五菱興業(株)が、昭和四六年一一月二七日ころ被告人の仲介により門間賢司から北海道山越郡長万部富野所在の土地(以下、「富野土地」という。)を代金二〇〇〇万円で購入した際、被告人が五菱興業(株)にかわって右代金を支払ったことはあるが、同社が右代金支払のために振出した二〇〇〇万円の約束手形を門間賢司のために割引き、八〇〇万円の割引利息を受領したことはないと主張する。

そこで検討すると、門間賢司は、検察官に対する昭和五〇年三月五日付供述調書(甲一51)において、昭和四六年一一月二七日五菱興業(株)に対し、富野土地を被告人の仲介により代金二〇〇〇万円で売却することとし、同社より代金の支払のため支払期日を昭和四七年三月末とする額面二〇〇〇万円の同社振出の約束手形を受取ったが、右約束手形が四カ月先の支払期日に決済できるかどうか不安であったことから、これを被告人に割引いてもらって現金を受取った方が得策であると考え、被告人に割引を依頼し、割引料として八〇〇万円を支払い、一二〇〇万円を受領したと供述しているが、右供述内容は詳細かつ具体的であって、関係証拠とも符合するものであり、真実を述べたものと認められる。右によれば、被告人が右約束手形二〇〇〇万円の割引料として八〇〇万円を受領したことが明らかである。ところで、証人門間賢司は、証人尋問調書において、富野土地の売買代金二〇〇〇万円については、うち一二〇〇万円を当日長万部で受領し、残金八〇〇万円は数日後に東京まで出かけて行き、被告人より受領した旨供述し、被告人もこれと符合する供述をしているが、関係証拠によれば、門間賢司は当日一二〇〇万円を受領するのと引換に富野土地の所有権移転登記に必要な関係書類一切を被告人へ引渡しており、残代金の支払が残っていたものとは認められない。また、売買代金の支払は買主である五菱興業(株)において手筈を整え支払うのが筋合であるが、売主である門間賢司がわざわざ北海道から東京まで出かけて行き、被告人から残代金八〇〇万円を受取ったというのはいかにも不自然であること(もっとも門間賢司は本件取引の約一か月後である昭和四六年一二月二七日、被告人から八〇〇万円を受けとっているが、これが、本件とは別個の借入れであることは関係証拠上明らかである。)、門間賢司は、公判の段階で捜査段階における供述を変更するに至ったことについて、何ら合理的な説明をしていないばかりでなく、証人斉藤忠亮の証人尋問調書によれば、被告人は門間賢司が証人として証言するにあたり、同人と接触し、自己に有利な証言をするよう働きかけた形跡が窮われること等の事実が認められ、これらによれば証人門間賢司及び被告人の前記供述はとうてい信用できない。なお、関係証拠によれば、昭和四六年一一月二六日被告人から五菱興業(株)に対し二〇〇〇万円の貸付がなされ、同社より、額面二〇〇〇万円の約束手形と右二〇〇〇万円の貸付に対する利息三二〇万円及び手数料三二五万円に相当する各額面の約束手形が振出されているところ、右被告人の五菱興業(株)に対する貸付は、本件富野土地の売買代金二〇〇〇万円支払のためになされたものと認められるが、右の事実が前認定を左右するものでないことはいうまでもない。所論は採用できない。

第七小川継之関係

弁護人は、被告人の小川継之に対する貸付金は、検察官主張のとおり、合計五〇〇万円であるが、貸付の際の利息の約定は、月九分とするだけで債務不履行による賠償額の予定はなく、貸付以来利息の支払はなかったので、課税の対象となる未収利息は、本件各年分とも右元本に対し利息制限法所定の年一割五分にあたる七五万円であると主張する。

そこで検討すると、被告人の小川継之に対する貸付金が本件当時合計五〇〇万円であり、貸付以来利息の支払がなされていないことは所論のとおりである。

そこで、小川継之の収税官吏に対する質問てん末書二通(甲一7、112)丸浦岩夫作成の捜査報告書(同8)等によれば、被告人と小川継之との間において、貸付金に対する実際の利息は月九分と約束され、損害金については特に定められていなかったのに対し、右当事者間で作成されている金銭消費貸借契約書においては、利息日歩四銭一厘、損害金日歩八銭二厘と記載されていることが明らかであるが、右のように、金銭消費貸借契約書において、実際の利息の約定とは異なった利息を定め、損害金についても明記したのは、借主である小川継之が返済期限内に返済せず九分の利息を支払わないために、これを法的に実現せざるを得ない場合のことを考慮して、利息制限法所定の範囲内で利率を定めたものであって、効力があるものと認められる。従って、小川継之は被告人に対し、本件返還期限後の利息(損害金)について、右約定の日歩八銭二厘によって算出される金額につき支払義務があることは明らかである。そうすると、本件において課税対象となる未収利息は、丸浦岩夫作成の捜査報告書(甲一8)のとおり、当初の天引利息九万円のうち、利息制限法の制限超過部分である七万七四三五円を元本に充当したうえ、右日歩八銭二厘により算出した金額となる。所論は採用できない。

第八山口泰治関係

弁護人は、検察官が被告人において直接山口泰治に貸付けたと主張する三六〇〇万円の貸付は、実際は被告人が右金額を小川公吉に貸付けたところ、同人がこれをさらに山口泰治に貸付けたものであり、被告人は右小川公吉に対する貸付により、同人から一〇〇万円の利息を取得したにすぎないと主張する。

そこで検討すると、関係証拠ことに山口泰治(甲一197)、小川公吉(同207)の検察官に対する各供述調書、埼玉銀行田無支店長作成の証明書(同138)、小川公吉作成の証明書(同146)、登記簿謄本三通(同156ないし158)等によれば、山口泰治は、昭和四八年二月ころ、海老沢孫一から埼玉県比企郡滑川村大字羽尾字東四ツ所在の畑三筆(地目はその後山林に変更された。以下、「東四ツ土地」という。)を代金約七〇〇〇万円で購入することとし、残代金三六〇〇万円の借入先を探していたところ、知人の向山仁久を通して小川公吉を紹介されたが、同人が被告人に話をつけ、結局被告人から三六〇〇万円を借入れることになったこと、被告人と山口泰治との間で、右借入の条件として、利息月一割、返済期日同年九月二九日ころ、担保として東四ツ土地に被告人を権利者とする所有権移転請求権保全の仮登記を設定するという約束がなされ、同年七月二九日、右仮登記が設定されたこと、被告人は同月三〇日三八〇〇万円の小切手を振出し、これを小川公吉に依頼して埼玉銀行田無支店において現金にしたうえ、東松山市神明町の「若寿司」という寿司屋の二階において、向山仁久、小川公吉立会のうえ、被告人から山口泰治に現金三六〇〇万円が手渡されたが、そのとき被告人から向山仁久及び小川公吉に対し礼金が支払われたこと、その後山口泰治は、同月三〇日ころと同年九月二九日ころの二回にわたり被告人に対し各三六〇万円を利息として支払い、さらに同月三〇日小川公吉から三六〇〇万円を借入れ、同年一〇月一日被告人に右元本を返済したこと、その結果、山口泰治と被告人との本件貸借関係が終了したため、前記所有権移転請求権保全の仮登記が被告人から小川公吉の女婿である宮下喜八郎へ移転されたこと、以上の各事実が認められ、右によれば、被告人が検察官主張のとおり山口泰治に三六〇〇万円を貸付け、同人より二カ月分の利息として合計七二〇万円を受領したことは明らかである。所論は採用できない。

第九目黒忠関係

一  弁護人は、検察官が目黒忠に対する貸付と主張する三口の貸付は、被告人が(株)メグロに貸付けたものであって、目黒忠個人に貸付けたものではない。また右(株)メグロ貸付分について、検察官主張のとおり利息を受領していない。すなわち、被告人は、(株)メグロに対し、(一)貸付日昭和四八年六月一六日、貸付金額二〇〇〇万円、利息月三分(六〇万円)、返済期日同年九月一六日、(二)貸付日同年七月二日、貸付金額一五〇〇万円、利息月三分(四五万円)、返済期日同年九月三〇日、以上二口の貸付をなし、右(二)については右約定どおり元金と三カ月分の利息の支払を受けたが、(一)については返済期日である同月一六日までの三カ月分の利息一八〇万円を受取ったものの元金の返済がなかったので、返済期日を同年一〇月一六日まで延期し、右延期分の利息として(株)メグロより右一〇月一六日を支払期日とする額面六〇万円の約束手形の振出を受けたけれども、右一〇月分以降利息と元金の返済はないと主張する。

そこで先ず、被告人の貸付が目黒個人に対しなされたかどうかを検討する。

所論の貸付金二〇〇〇万円及び利息六〇万円の支払のために振出された各約束手形(弁15の1、2)が(株)メグロ名義で振出されていること、金銭借用証書(弁13の1)、金銭消費貸借契約公正証書(弁13の2、14)における各債務者の名義が(株)メグロであり、目黒忠は連帯保証人とされていること、被告人が所論の貸付をする際振出した各小切手の裏書人(受取人)の氏名欄には「(株)メグロ(代)目黒忠」と記載され(甲一162参照)、その他領収証(弁13の3)が(株)メグロ名義で発行されていること等からすると、所論の貸借は被告人と(株)メグロとの間でなされたかのようである。しかしながら、他方、関係証拠によると、そもそも本件各貸借は、目黒忠個人が商品相場に必要な資金を被告人から借入れたものであって、現に借入金の殆んどは目黒忠個人が使用しており、このことは被告人も十分承知していたこと、(株)メグロの帳簿には、同社が被告人から借受けたことを窺わせるような記載が一切ないばかりか、目黒忠は、所論(一)の二〇〇〇万円及び利息の返済資金を(株)メグロから借受けたうえ被告人へ返済していること(証人目黒忠の証人尋問調書添付の仮払金元帳)、本件関係書類が前記のように(株)メグロが被告人より借受けたように処理されているのは被告人からの要求があって、便宜上なされたものであること等が認められるのであって、これらの事実を総合すると、本件各貸借はいずれも実質的に被告人と目黒忠個人の貸借というべきである。

そこで次に、前記(一)の二〇〇〇万円の貸借について、昭和四八年一〇月分以降の利息の支払が検察官主張のとおりなされたかどうかを検討する。

証人目黒忠の証人尋問調書によれば、同証人は、右の点について、関係資料に基づき、検察官主張のとおり元利金の支払をなし、ことに昭和四八年一二月分の支払については、二〇〇〇万円の借入れが六月一六日であったので、利息は半月分の三〇万円であり、同年一二月三一日元金二〇〇〇万円と右三〇万円の利息を合わせた二〇三〇万円を支払い、これをもって元利の支払を一切完了した旨供述しているが、右供述の内容は、前記仮払金元帳の昭和四八年一二月三一日欄に右二〇三〇万円が出金されたことの記載があること、右一二月三一日以降被告人から目黒忠らに対し右貸付金支払の催促がなされた形跡は全くないこと等関係証拠によって認められる客観的事実とも符合するものであって、十分信用できる。右によれば、被告人からの二〇〇〇万円の借入に対する利息の支払が検察官主張のとおりなされたものと認めるに十分である。

ところで弁護人は、被告人の手許に二〇〇〇万円に対する昭和四八年一〇月分の利息に相当する額面六〇万円の約束手形が残存するので、右一〇月分以降の利息の支払はなかったと主張するが、関係証拠によれば、被告人は、他の債務者との取引においても債務者から借用書、約束手形及び小切手等を徴していたが、債務者に対する優越的地位を利息ないし元本の返済があっても、これに対応する約束手形や小切手を必ずしも返還しないことがあったばかりでなく、元本の返済が完全に終了してもなお借用書を返還することなく、これら証憑書類を手許に保管していたことが認められるから、被告人の手許に右約束手形が残存しているからといって所論のように利息の支払がなかったと推認すべき根拠となるものではない。のみならず、被告人の許で経理を担当していた国保真理は、査察官に対し自己のメモに基づき、昭和四八年一〇月以降も目黒忠から本件二〇〇〇万円に対する利息六〇万円の支払があったと明確に述べており(甲一107)、さらに被告人と目黒忠の貸借関係は、前記のとおり同年一二月三一日の二〇三〇万円の支払をもって一切が終了したものと認められるのであって、これらの点を併せると所論はとうてい採用できない。

二  弁護人は、被告人は昭和四八年七月七日三二〇万円を目黒忠個人にも、(株)メグロにも貸付けたことはないので、検察官の右三二〇万円に対する利息の主張は誤りであると主張する。

そこで検討すると、証人目黒忠は、証人尋問調書において、昭和四八年七月七日被告人より三二〇万円を月三分の利息で借受け、月額九万六〇〇〇円の利息三回分合計二八万八〇〇〇円を支払い、元本三二〇万円は弟の目黒祐司が石巻市農業協同組合から借受けた二〇〇〇万円で同年九月三〇日前記(二)の一五〇〇万円とともに返済したと明確に述べているところ、関係証拠によれば、七十七銀行矢本支店の被告人の当座預金口座に同年七月三日現金三二〇万円が預金され、同月七日右三二〇万円は(株)メグロ宛の小切手により出金されているが(甲一162)、右が目黒忠が述べている被告人の目黒忠に対する本件三二〇万円の貸付と認められる。また同年九月二九日目黒忠の弟である目黒祐司が石巻市農業協同組合から二〇〇〇万円を借受けているが(同163)、右二〇〇〇万円は前記(二)の一五〇〇万円と右三二〇万円の返済のために借受けたものであって、これが被告人に支払われたことにより三二〇万円の貸借も一切完了したものと認められる。以上のとおりであって、被告人が目黒忠に三五〇万円を貸付け、右元本三二〇万円を返済するまでの約三カ月分の利息合計二八万八〇〇〇円を受領したことは明らかである。なお、被告人は、右三二〇万円は(株)メグロから購入したボートの代金として支払ったものであり、その後ボートを購入しないものとして返還したので右三二〇万円の返還を受けた旨供述しているが、関係証拠によれば、被告人が目黒忠に対しボートを購入したいと申入れ、試乗のためボートを一時間使用したこともあったが、結局仮契約も成立しないままに推移したことが明らかであって、その間にボート代が支払われた形跡は全くないこと、前記のとおり、目黒祐司は、目黒忠の被告人からの借入金の返済をするために石巻市農業協同組合から二〇〇〇万円を借入れているが、これが前記(二)の一五〇〇万円とともに三二〇万円の支払にあてられたことは明らかであって、右三二〇万円は被告人からの借入金と認められるので、前記被告人の供述は措信できない。所論は採用できない。

第一〇斉藤忠亮関係

一  先ず弁護人は、被告人は斉藤忠亮に対し、昭和四六年一月三〇日四二〇万円を利息月九分の約定で貸付けたが、被告人が右貸付に対する利息として受取った金額は検察官が主張する六二万円ではなく、三二万円にすぎないと主張する。

そこで検討すると、関係証拠ごとに、証人斉藤忠亮の証人尋問調書、登記官作成の登記簿謄本(甲一101)等によれば、斉藤忠亮は、(株)藤忠及び(有)武蔵野総業の各代表取締役であり、被告人等から不動産の購入資金を借入れるなどして不動産取引を行っていたものであるが、昭和四六年一月三〇日日野市大字日野五五九四番五所在の山林(同101)を(株)京栄不動産から購入した際、その代金を支払うための資金として、被告人から四二〇万円を利息月九分で借用し、同年二月一日右被告人の貸付金の支払を担保するため右山林に抵当権等の設定登記をしたこと、被告人の貸付関係メモには、昭和四六年三月斉藤忠亮から右四二〇万円に対する利息として六二万円を受領した旨の記載があること、同月一五日右四二〇万円の貸借が返済により終了したため前記抵当権等が抹消されたことがそれぞれ認められる。右によれば、被告人が斉藤忠亮に貸付けた四二〇万円の利息として右三月に六二万円を受領したことは明らかである。被告人は、斉藤忠亮は四二〇万円の利息として六二万円を持参してきたが、もっと負けてくれというので、右六二万円のうち三〇万円をその場で返したと供述しているが、右供述は証人斉藤忠亮の証言となるばかりでなく、これを裏づけるものは何も存在せず、前認定の事実に照らしとうてい措信できない。所論は採用できない。

二  つぎに弁護人は、被告人は斉藤忠亮に対し、昭和四七年八月三一日一〇〇万円を貸付けたことはないので、検察官の右一〇〇万円に対する利息収入の主張は誤りであると主張する。

そこで検討すると、証人斉藤忠亮、同山本安彦の各証人尋問調書、同人の検察官に対する供述調書二通(甲一32、33)等によれば、斉藤忠亮は、昭和四七年二月一〇日山本安彦から、北海道山越郡長万部町字栄原所在の数筆の土地を、被告人の手を経て代金一〇〇〇万円で購入したが(山本安彦は、検察官に対する供述調書において、右売買代金は三〇〇万円であったが、被告人から、斉藤忠亮に対し一〇〇〇万円で売却したいので、代金額を一〇〇〇万円にしておくようにいわれたことから、売買契約書では代金が一〇〇〇万円になっていると供述している-同供述調書添付の土地売買契約書参照。)、そのとき右売買代金一〇〇〇万円を被告人から借受けたことにし、被告人に対し斉藤忠亮の取引銀行である東京信用組合小平支店を支払銀行とする(イ)額面二一七万円、支払期日昭和四七年三月一〇日、(ロ)額面三〇〇万円、支払期日同年五月三一日、(ハ)額面六〇〇万円、支払期日同年六月三〇日、(ニ)額面一〇〇万円、支払期日同年八月三〇日の合計四通の約束手形を振出したこと、右〈イ〉ないし〈ハ〉の約束手形は斉藤忠亮が被告人の許に現金を持参するなどして決済したが、〈ニ〉の約束手形については決済資金がなかったので、被告人からあらたに一〇〇万円を借りて決済し、そのため被告人に対し、右一〇〇万円に利息九万円を上乗せした額面一〇九万円の約束手形を降り出し、右一〇九万円は支払期日である昭和四七年九月三〇日支払われたことが認められる。右によれば、被告人が右八月三〇日斉藤忠亮に対し一〇〇万円を貸付け、その利息として同年九月三〇日に九万円を受領したものと認められる。所論は採用できない。

三  さらに弁護人は、被告人は、斉藤忠亮に対し、立川市幸町所在の土地(以下、「幸町土地」という。)の購入資金として、昭和四六年一〇月二五日二五〇〇万円、同四七年五月三〇日三一〇〇万円をそれぞれ貸付けたほかに、同年中に四〇〇〇万円を貸付けたので、合計九六〇〇万円を貸付けていたところ、その後斉藤忠亮が第一山手ビル(株)に右幸町土地を一億六八三万四〇〇〇円で売却し、その代金から右被告人からの借入金の返済として同年一一月一八日一〇〇〇万円、同年一二月五日八八〇〇万円の合計九八〇〇万円を支払ったので、被告人が右貸付金について斉藤忠亮から受取った利息は二〇〇万円にすぎないと主張する。

そこで検討すると、証人斉藤忠亮の証人尋問調書、国保真理の検察官に対する昭和五〇年三月二四日付供述調書(甲一68)、登記官保坂甲子夫作成の登記簿謄本(同103)、土地売買契約書一通(符10)、写二通(符12、13)、公正証書写一通(符11)等によれば、斉藤忠亮は、昭和四六年一〇月二六日幸町土地を代金六一二八万円で購入したが、その代金支払のための資金として、所論のとおり被告人から二回にわたり合計五六〇〇万円を借受けたこと、その後斉藤忠亮は昭和四七年一一月一八日右土地を第一山手ビル(株)に一億六八三万四〇〇〇円で転売し(ただし、契約書上は、第一山手ビル(株)と鈴木幸枝に対し、それぞれ五四〇五万四〇〇〇円と五二七八万円で売却したことになっている。)、同日同社より手付金一〇〇〇万円、同年一二月五日残金九六八七万四〇〇〇円を受領したが、前記被告人からの五六〇〇万円の借入に対する元利金の支払として、同年一一月一八日一〇〇〇万円、同年一二月五日九〇五二万九〇〇〇円を支払ったこと(斉藤忠亮は、右一二月五日第一山手ビル(株)から残額九六八三万四〇〇〇円を受領したが、同人はこのうち二〇〇万円を取得しただけであり、仲介をした渡辺不動産に仲介手数料として四三〇万五〇〇〇円を支払い、残りの九〇五二万九〇〇〇円は被告人が取得したものである。)がそれぞれ認められる。右によれば、被告人は、前記のとおり斉藤忠亮から支払を受けた合計一億五二万九〇〇〇円と同人に対する五六〇〇万円の貸付元本との差額四四五二万九〇〇〇円を右貸付の利息として受領したことは明らかである。ところで、被告人は、当時斉藤忠亮に対し右五六〇〇万円のほかにも四〇〇〇万円の貸付があり、以上の合計九六〇〇万円の元利の支払として、右一一月一八日一〇〇〇万円、一二月五日八八〇〇万円の各返済を受けたが、同日斉藤忠亮から二〇〇万円の借入の申込があったので、同額面の約束手形を振出させて同金額を貸付け、残金八六〇〇万円は手持の資金を足して九〇〇〇万円にし、これを石巻信用金庫矢本支店に預金したなどと供述しているが、被告人自身右四〇〇〇万円の貸付の経緯等につき何ら具体的に述べていないことはそれが多額の貸付であるだけに不自然であり、また被告人が昭和四七年一二月五日、九〇五二万九〇〇〇円を取得し、そのうち九〇〇〇万円を石巻信用金庫矢本支店に預金したことは、同行した前記国保真理の検察官に対する供述調書等によって明らかであって、これらの点を考えると、右被告人の供述はとうてい措信できない。所論は採用できない。

第一一清水春雄関係

弁護人は、被告人の清水春雄に対する貸付は、昭和四六年八月二三日五〇〇万円、同年九月二七日五〇〇万円、同年一一月八日一〇〇〇万円(いずれも利息は月九分)の三口だけであって、検察官が主張するそのほかの貸付は、いずれも清水春雄の被告人に対する和解金の各月の支払分を約束手形及び小切手に書替えさせたものであり、被告人は右約束手形及び小切手の書替えのつど額面の約一分に相当する金員を書替え手数料として受領していたにすぎないと主張する。

そこで先ず、被告人と清水春雄の貸借の経緯等についてみると、関係証拠によれば、(1)清水春雄は、武蔵野市において、レストラン、キャバレーなどを経営していたものであるが、昭和三九年、被告人との間に、同人所有の同市吉祥寺本町一丁目三一番一三号所在の土地及び建物(以下、「吉祥寺物件」という。)について紛争が生じ、同年四月二四日、武蔵野簡易裁判所において、清水春雄が右物件を二〇〇〇万円で購入することの和解が成立したが、清水春雄は右代金の支払資金に窮し、被告人から借入れるようになったこと、(2)その後、清水春雄が右代金の支払を完了せずに右建物を取り壊したため被告人より調停の申立がなされ、昭和四〇年一二月二一日武蔵野簡易裁判所において、清水春雄が被告人に対し和解承諾料三八二万五〇〇〇円と未払代金一一一七万五〇〇〇円の合計一五〇〇万円の支払債務があることを認め、これを昭和四一年一月より同年六月まで月額二〇万円、同年七月より昭和四三年八月まで同五〇万円、同年九月八〇万円を支払うことの調停が成立したこと、(3)ところで、清水春雄は、右の支払を約定どおりに履行できなかったため、被告人に対し約束手形及び小切手を振出すなどして新たな借入れを起し、これを右支払にあてていたが、昭和四五年清水春雄振出にかかる小切手数通(額面合計九九〇万円)が不渡りとなったことから、被告人は、東京地方裁判所に対し、清水春雄から貸付の担保として差入れを受けていたレストラン「四ツ角」の店舗の明渡等請求訴訟を提起したが、同年五月六日、武蔵野簡易裁判所において、清水春雄が被告人に対し借入金等合計七五一二万円と和解承諾料九八八万円の合計八五〇〇万円の支払債務があることを認め、これを同月一七日から月額二〇〇万円宛支払うことの和解が成立したこと、(4)清水春雄は、右八五〇〇万円について、昭和四六年三月までに合計二〇〇〇万円を支払ったが、借入れの際、被告人に差入れていた王敬亟外二名の振出にかかる額面合計五一〇万円の小切手の決済ができず、そのため同年五月二一日、武蔵野簡易裁判所において、清水春雄が被告人に対し前記八五〇〇万円から支払済の二〇〇〇万円を差引いた未払分六五〇〇万円と和解承諾料三〇〇万円の合計六八〇〇万円の支払債務があることを認め、これを同月二七日から月額二〇〇万円宛支払うこと、前記王敬亟外二名振出にかかる小切手を含む借入金合計一二〇〇万円の返済にかえて、前記吉祥寺物件弁済として提供すること、清水春雄が借入の際被告人に交付していた市川匡ほか二名振出にかかる約束手形及び小切手額面合計六〇五万円については六八〇〇万円の支払とは別途に支払うこと等の即決和解が成立したこと、(5)清水春雄は、右和解以後も被告人から度々新たな借入をしながら右和解金の支払を行っていたものであって、大口のものとしては、昭和四六年八月二三日五〇〇万円、同年九月二七日五〇〇万円、同年一一月八日一〇〇〇万円の借入をしたこと、以上のとおり認められる。

そこで被告人が清水春雄に対し検察官主張のとおりの貸付をなし、利息を受領したかどうかを検討する。

関係証拠によれば次のとおり認めることができる。すなわち、銀行勘定帳(符29、30、140、106、107)、金銭出納帳(符105)等には、検察官主張のとおり、清水春雄が被告人から借受け、これが決済されたことの記載がなされているが、証人清水春雄は、当裁判所において、右の記載は同人が被告人からの借入金あるいは前記和解金を支払うために被告人に振出した約束手形及び小切手の銀行における決済の状況をそのつど記入したものであると述べているうえ(証人清水春雄は、大体その日に自ら又は妻が記帳したものであるが、翌日か二日遅れて書いたものもあると述べている。)、右記載の内容は、清水春雄が借入れの際振出し交付した約束手形及び小切手の銀行における決済状況(井口和雄作成の上申書、川和正夫、秦孝司の検察官に対する各供述調書参照)、本件貸付金の被告人の取引銀行口座からの出金の状況(埼玉銀行田無支店長、東邦信用金庫田無支店長、東京厚生信用組合小平支店長各作成の証明書参照)、前記王敬亟ら振出にかかる小切手の記載等とも符合し十分信用できる。また、証人清水春雄は、当公判廷において、被告人との間に検察官主張のとおりの貸借があったことを関係資料に基づき具体的に供述しており、右貸借において、借入金額の一割が一カ月分の利息として天引され、また元本の支払が約束どおり履行できなかったときにはその一割を利息ないし遅延損害金として支払っていたこと、昭和四六年八月二三日五〇〇万円、同年九月二七日五〇〇万円、同年一一月八日一〇〇〇万円の各借入の利息はいずれも月九分であったが、右借入においては鎌田かずみ所有の不動産が担保として差入れられたため、金利が一割を下回ったものであり、右の場合を除き、被告人の本件貸付の金利が月一割下回ったことはないこと、逆に金利が月一割を越えた場合があり、そのときは前記銀行勘定帳及び金銭出納帳等に記入したと明確に供述しているところ、右供述の内容は、右銀行勘定帳等関係証拠とも符合するものである。以上のほか、被告人は、捜査段階において、関係資料に基づき清水春雄に対し多数回にわたって貸付を行い、その金利は月一割か九分のどちらかであったと明確に述べていることや前記各和解あるいは調停において確認された清水春雄の被告人に対する未払金等の額及びその増減の状況等をも併せ考えると、被告人が清水春雄に対し、検察官主張のとおりの貸付を行い、その利息を受領したものと認めるに十分である。被告人は、当公判廷において、清水春雄振出にかかる約束手形及び小切手のほとんどは貸付の際に振出されたものではなくて、前記和解による毎月の支払分を書替えたものであり、被告人は右書替えの際に額面の一分程度の金員を清水春雄から書替手数料としてもらっていたにすぎないと供述しているが、前認定事実のほか、前記和解及び調停において確認された清水春雄の支払債務の大部分は、もともと借入金をまとめたものであり、その延滞金あるいはこれを返済するために行われた新たな借入に対する金利が一分程度であったとはとうてい認められないこと、被告人は、清水春雄に対し、同人が本件について査察官から取調を受けるにあたり、被告人からの借入金の利息が月一分程度であったように述べるよう依頼していること等に照らし、右被告人の公判廷における供述はとうてい措信できない。所論は採用できない。

第一二小川公吉関係

弁護人は、被告人が小川公吉から実際に受取った利息の額は、検察官主張のとおりであるが、利息制限法に違反し、他方同人から元本の返済を受けていないのでその返済を裁判上請求するについて右受取利息のうち利息制限法超過部分については元本に充当されることになるから、返済を求め得る元本額はそれだけ減少することとなり、従って課税対象となるべき利息は、右利息制限法所定の年一割五分の割分による金額にすぎないと主張する。

そこで検討すると、被告人が実際に受取った利息の額が利息制限法に違反するものであり、元本の返済を受けていないことから、利息制限法によって算出される利息を超過する部分が元本に充当され、従って裁判上請求しうる元本額が減少することは所論のとおりである。しかしながら、被告人が昭和四八年中に小川公吉から実際に利息として受領した金員、右の計算による元本の減少にかかわらず、利息制限を超過する部分についても現実の利息収入として課税の対象になることは多言を要しないところであって、所論は採用できない。

第一三その他

弁護人は、検察官の主張によれば、被告人は昭和四四年分及び同四五年分として合計二億七〇〇〇万円余、同四六年分から同四八年分として合計五億一一〇〇万円余の所得があることになるが、右金額は個人の所得として桁はずれの額であり、被告人には当時それだけの収入や資産の増加があったものとは認められないので、本件起訴は被告人の所得を誤って過大に主張する不当なものである等るる主張するが、関係証拠によれば、前記各認定のとおり、被告人の貸付についての約定利息及び遅延損害金等の額が巨額であって、取立ての方法も悪質であり、莫大な利息収入や遅延損害金等を得ていたものであること、被告人は昭和四四年分及び同五五年分の所得の申告に対し、更正決定を受け、合計一億八一五五万一五〇〇円の所得税が賦課され、これを認めて納付していること等から、すでに右昭和四四年及び同四五年当時から貸付金に対する利息収入、遅延損害金等として莫大な所得があったものと認められること、また昭和四八年ころ目黒忠に対し二億円の貸付先を問い合わせているなど巨額な運転資金を有していたことが看取されること等を併せ考えると、被告人が本件三年分につき、判示認定の所得があったことを認めることに不自然なところはない。所論は採用できない。

以上のとおりであって、被告人の昭和四六年から同四八年までの三年分の貸付金に対する利息等の収入は別表(八)記載のとおりである。

(法令の適用)

一  罰条

判示各所為につき、行為時において昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項、二項、裁判時において改正後の所得税法二三八条一項、二項(刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑による。)

二  刑種の選択

いずれも懲役刑及び罰金刑の併科

三  併合罪の処理

刑法四五条前段、後段、五〇条、未だ裁判を経ない判示第一及び第二の罪につき同法四七条本文、一〇条(犯情の重い判示第一の罪の刑に加重)、同法四八条二項

四  労役場留置

刑法一八条

五  訴訟費用の負担

刑事訴訟法一八条一項本文

(量刑の理由)

本件は、貸金業及びモーテルの経営等をしていた被告人が、自己の資産の蓄積を目的として脱税を企図し、貸金業務については、貸付及び利息収入を明らかにするための帳簿類を一切作成しなかったばかりか、貸付先や取引銀行等に対し、証憑となるようなものを残さないよう申し渡し、他人名義の口座を開設して貸金を取立て、元利金の受領後は貸付の際振出された約束手形及び小切手、領収証等をその場で廃棄し、取立てた金員は多数の仮名預金に分散し、他方モーテルの営業についても売上計算書を廃棄するなど摘発の手がかりを与えないよう周到な所得秘匿工作をしたうえ、昭和四六年から同四八年の三年分で合計三億二八〇〇万円の所得税を免れたという事案である。被告人が右三年間に納付した所得税の合計額は昭和四六年分及び同四七年分で合計一一〇万円程度にすぎず、昭和四八年分については二一五万円余の欠損の申告をしているものであり、そのほ脱率は三年分を通算して九九パーセントを越えている。

しかも被告人は、前記のとおり昭和四一年分の所得税の脱税事件により、同四四年三月一三日起訴され、同四八年一二月一日東京地方裁判所において懲役四月及び罰金二五〇万円(懲役刑については二年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同月一六日確定したものであるが、判示第一及び第二の犯行は、右脱税事件の審理中のものであり、判示第三の犯行は右判決確定直後の猶予期間中に虚偽の申告をしていることを考えると、大胆かつ悪質極まりない犯行というべきであり、厳しい非難に価する。

加えて、被告人の本件所得の大部分を占める利息収入は、いずれもかなり高利の貸付によるものであるが、貸付先の返済が滞ったり、期限に返済されない場合などには、その窮迫につけ込んで出資法上の制限をも上回る著しい高利の利息を徴したり罰金等の名目で法外な違約金を取るなどしているほか、被告人は自己の刑事責任を免れるため、査察当初から虚偽の陳述をなし、当公判廷においても犯行の大部分について否認をつづけ、明らかに事実に反する弁解を重ねているばかりでなく、証人に対し、証言の直前に現金を渡すなどして自己に有利な証言をするよう働きかけたこともあり、遵法精神に欠けること甚だしく、本件について真に反省しているとは認められない。

以上、本件脱税額は巨額であり、ほ脱率が九九パーセントを越えていること、徹底して証拠隠滅を行ない、脱税工作を講じ、犯行が脱税事件の審理期間中及び判決確定直後に敢行されているなど著しく納税意識を欠いた悪質なものであること、被告人の査察段階及び公判廷における対応状況等のほか、被告人の貸付の多くは、極めて高利であって、元利金の回収の方法が悪質極まりないものであり、被告人の法を無視してまで飽くことなく利益を追求する自己中心的な態度等にかんがみると、被告人が本件につき一応陳謝の意を表していること、昭和五〇年三月四日、昭和四四年から同四七年までの四年分の申告所得税につき、更正処分及び賦課決定処分がなされ、本税の一部である三億四二〇〇万円余を納付済であること(たゞし右処分に対し異議申立がなされている。)、現在では本件ほ脱所得の大部分を占めた貸金業をやめていること、その他被告人の年令、健康状態等被告人のために酌むべき諸事情を最大限に斟酌しても、主文掲記の実刑は免れないものである(求刑、判示第一及び第二の罪につき懲役二年及び罰金九〇〇〇万円、判示第三の罪につき懲役一年及び罰金二三〇〇万円)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 羽渕清司 裁判長裁判官小泉祐康は海外出張につき、裁判官園部秀穂は転補につき署名押印できない。 裁判官 羽渕清司)

別紙(一) 修正損益計算書

自 昭和46年1月1日

至 昭和46年12月31日

貫井一雄

〈省略〉

別紙(二) 修正損益計算書

自 昭和47年1月1日

至 昭和47年12月31日

貫井一雄

〈省略〉

別紙(三) 修正損益計算書

自 昭和48年1月1日

至 昭和48年12月31日

貫井一雄

〈省略〉

別表(四) 税額計算書

〈省略〉

別表(五)の(1) 11口合計 3,060万円の貸付分

〈省略〉

別表(五)の(2) 11口合計 3,060万円の貸付分

〈省略〉

〈省略〉

別表(六)の(1) 6口合計 2,300万円の貸付分

〈省略〉

別表(六)の(2) 6口合計 2,300万円の各利息支払いの状況

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

別表(七)の(1) その他弁護人の争う貸付分

〈省略〉

別表(七)の(2) その他弁護人の争う貸付分の支払利息の状況

〈省略〉

〈省略〉

〈省略〉

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